酩酊

 昔に比べると本当に酩酊することが少なくなった。もともとそれほど酒に弱いわけでもなく、それほど酒の席だからという失敗もない方だ。酔いつぶれる前にストップがかかるタイプだからだろう。そのストッパーが働かなくなるぐらいのスピードで飲むとたまにやらかす。

 どちらかというと立場的に酔っぱらった人間を介抱することが多かったこともあるだろう。多人数の飲み会になるとどうしてもそういうことが気になってしまう。

 よくよく思い出すと、ここ10年での酒の席での失敗は大抵ぴょんちゃんと飲んでるときだと言うことに気が付いた。最近は先に酔っぱらってぴょんちゃんが寝てしまうことの方が多いけれど昔はつき合いきれないほど飲んでいたような気がする。やはり30を越えるとそのあたりの無茶は徐々に厳しくなってくるのだろう。

 もともと、酔うという行為は好きだけれど、他人にそれを見せるのは余り好まない。自制しているつもりでもやはりいつもと違うし、周りに迷惑をかけるのがいやなのだ。人の酔っぱらい姿をみるのは別に気にならないのだけれど、自分のその姿はとても恥ずかしい。

 正直なところ、酔うという行為に対して昔はもっと良い感情をもっていなかった。親戚にも酒癖の悪い人たちがいたし、色々酒の席というのは子供にとっては面倒が多かった。それが私を20歳まで酒を飲まない生活をさせてきたのだろう。たぶん某Mと合わなければそれほど飲むことは今でも無かっただろう。

 さざなみさんにお酒を月一で届けて貰うようになり、高アルコールの酒に偏っていた私の飲酒の幅がほぼ全域にひろがったとき、以前のように一人で酩酊を楽しむことがなくなったように思う。

 昔は月に一度ぐらい、コンビニにつまみを買いに行ってバーボンを片手に4時間ぐらいでボトルを半分ぐらい空けるようなことをしていたが、今は酒がほしいなぁと思ってもショット1杯で十分満足できるのだ。ビールも350ml半分で満足してしまうこともある。それ以上はおなかが張ると思うことが多い。

 酒の味は相変わらず良く分からない。飲んだときにその時の自分に合っているかということはわかるのだけれど、絶対的な差はあまりわからない。でも、小難しいことはともかく自分が楽しめるように飲めれば良いかなと最近は思っている。

 昔は酩酊することに何を求めていたのだろう。そのときに忘れたいことを酩酊して一時的にでも逃避したかったのかもしれない。だとすれば今はそれなりにうまく生きていけているのかもしれないな。