人生論-カーネギー


 最近本を読む必要を今更ながら感じて、アマゾンで何冊か目に付いた本を購入した。そのうちの一冊。上げられている実例はいかにもアメリカ的だなぁと思うけれど何点か全く新しい気づきがあって良かった。

 この本を読んで一番思うのは、学生時代の自分は本当に何も分かっていなかったということ。本著のなかで老子の言葉が引用されているのだけれど、

 「河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、身を低きに置くからである。その故に河や海はもろもろの渓流に君臨することが出来る。同様に賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く、かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない」

 至言だと思う。本著の基本的な方針は、言いたいことと言い方の関係をうまく考えろということが多い。人が潜在的に持つ「自分が重要人物でありたい」という思いを尊重しながら相手と対話することが重要だと述べている。相手を尊重するということは上っ面だけなく実行することはかなり難しい。上辺だけの世辞はさすがに白々しくて逆効果極まりない。すなわち、他人を受け入れる覚悟なしに自分は受け入れられないということだろう。

 これに関しての一つの大きな鍵を本著でみつけた。「自分が行った行動のうち間違いでなかったのはどのぐらいの割合か」ということを省みることだ。5割5分間違いなければかなりの成功者なのではないかと思う。それぐらい人は間違っているのだ。これは、探せばいくらでも人は間違いを犯しているし、それと同じぐらい正しいこともしているということだ。

 尊重するためには認める点が必要だ、ここで、間違いを犯していないという視点で相手を見てしまうと間違い探しになってしまう。表面化していない場合もあるだろうが、つき合えばつき合うほど何かは出てくるということだ。これは良い点に関しても言える。そして良いところを意識的に探すか、悪いところを意識的にさがすかという探す側の意識の持ち方で殆どの人は善し悪し同じぐらいあるということ。

 尊重をしたいと考えるなら、良い面を出来るだけ見ればよい。悪い点も当然見えるだろうが、「無い人はいない」という目でみるのとそうでないのでは心理的に雲泥の差があるように思う。人が全て善悪併せ持つとするなら、悪いところを貶すよりも良いところを伸ばす方が余程前向きだろう。そのことは分かっていたけれど改めて実感した次第。