お猪口

 先日、RyoちゃんがDVDの編集をしたいということで、ポー助くんと一緒に大雪の中遊びに来てくれた。その時にお土産としてポー助くんからお猪口を頂いた。

 ポー助くんは京都の清水焼きの職人なんだけれど、彼の作ったものを見るのはこれが初めてだった。以前に陶器市があるからどうとは誘われたのだけれど、囲碁会と重なったりして行きそびれてしまった。

 個人的に信楽は、毎月個展の撮影とHP作成をしていることもあり、大体のものの善し悪しと値付けは出来るのだけれど、磁器は興味が無かったのもあって殆ど分からない。大体これくらいかなと聞いてみたところ、自分の予想より4倍ぐらい値段が違って驚いた。

 絵付け手間などが分かっていなかったんだということは、話を聞いて少し分かった。以前から土ものと石物は単価が全然違うよという話は聞いていたけれど、これほどとは思わなかった。実際、私が普段信楽で見ている商品は作家もので、商品ではなく作品だ。今回頂いたのはポー助くんが職人だとすれば商品だ。そう考えると根本的に相当な価格差があるんだということを実感した。(ポー助くんには相当失礼な話しになってしまった。無知故にお許し頂きたい)感覚的にはファルコが修羅の島にいったら名も無き修羅にまけた感じ。

 そんな馬鹿な比喩はさておき、頂いたお猪口は私的にはかなりヒットだった。丁度最近あたりめの影響やらさざなみさんの影響で、日本酒を飲む機会が増えた。いままで自分のお猪口はもっていなかったのだけれど、本当にタイムリーに頂いた感じだ。

 飲み物に関して言うと、お猪口やグラスのような食器で本当に味が変わる。それは普通の食器と違って直接口につけるからだ。口に当たる触覚が以下に大事か、グラスを変えてみれば良くわかる。素材もそうなのだけれど、厚さで相当飲み物のイメージが変わる。口を付ける部分が厚いもので繊細な飲み物を飲んでも味が丸みを帯びてしまって台無しになってしまう。逆にまろみは厚いグラスの方が感じやすい。

 口に対してもそうだけれど、手で持ったときの馴染みもかなり大きな要素だ。良いものは、中身があっても、無くても手の中で安定する。酒のグラスは重心はそれほど意識しないが、ティーカップなどはデザインだけでなく手で持ってみると大抵善し悪しが分かる。良いものは取っ手を持つとピシッと決まるのだ。特に中身が入ったときに決まらないティーカップは形状的にも最悪だ。本当に飲むたびに手が釣りそうになったり火傷しそうになるから。

 前置きが長くなったけれど、頂いたお猪口は親指が当たる辺りのへこみの馴染みと、口の部分のそり返しが丁度良く口当たりも良さそうだった。丁度いま手元にある大吟醸の古酒を明ける際にデビューさせようと思っている。

 正直、その酒の味もそうだけれど、グラスの口当たりを考えても一人でにやけてしまうのだ。以前おタキさんから貰った花グラスとあわせて当分お気に入りで一人満足できそうだ。