自分の言葉を見る
後輩のblogを久しぶりに覗いたら自分のことが書いてあってびっくりした。当時確かにこういう事を下級生に結構偉そうに語っていた記憶がある。
是非はともかく、当時の自分は良い意味でもとがっていたと思うし、思想的には徹底していたとおもう。色々な甘さがあったとしても、それについてきてくれた人たちは確かに居たし足りないなりにも何か感じてもらえるものがあったのだろう。
他人からはどう見えるかは分からないけれど、自分なりには結構楽しい人生を送っているように思う。怠惰であったり、無力感にさいなまれたりすることも当然あるけれど、少なくとも自分で選んできた道を歩いていると思う。
その瞬間に無力感を感じることは当然ある、でもそれはあくまでその時の事であって過去に対してではない。
面白いのは、その当時出来て今できないこと、そしてその逆もまた今の自分にあること。差分をとればプラスにはなっていると思うけれど、過去に出来たことが体力的にでなく精神的にできないのは不思議なことだ。
むしろ、出来ることばかりが成長ではなくて、出来なくなったことが成長なのかもしれない。そう考えるともっと良くなったとも言えるのか。まぁそれぞれ独立的に善し悪しではなくて、結局の所場合によって使い分けられるのが良いのだろう。
大学を離れてからそろそろ10年近い日が経とうとしている。それぞれの道を歩んでいる彼らは一体どんな風に変わったのだろう。一度酒でも飲みながらゆっくり話してみたいと思う。