忘れている

 先日の碁会で久々にお茶を入れる。さすがに紅茶は忘れることは無いのだけれど、中国茶は一時期調べていた知識がぼっこり抜けている。全然ダメだな。

 折角の桂花ウーロン茶が台無しだったような気がする。茶葉の量最初滅茶苦茶多すぎたし、まぁやる前に突っ込みが入って控える結果になって良かったけれど。抽出時間とかも全然もう記憶になかったので超適当。形だけしか記憶になかった。

 物だけは立派にあるのだけれどね、聞香杯とか滅多に使うことがないので分かる人たちが来ていて楽しかった。まぁやっぱりこういう会話はむさい男とするよりも、美しい女性陣とやるほうが華があって楽しい。うちはあまり水事情が良くないのでもし今度やる機会があったらミネラルウォーターを買ってきた方が良さそうだ。

 まぁなんとなくその流れで、久々に美味しい珈琲を飲みたくて山本珈琲倶楽部を思い出した訳なんだけどね。

 お茶を入れるときに思うのは、結局の所美味しく入れるということは相手をどれだけ「もてなしたいか」につきると思う。材料の厳選は当然として料理もそうだと思うけれど、細かな気遣いの積み重ねが最終的に味を大きく変える。

 ここの行為はたいしたことは無くても、積み重ねれば大きな差になって味に現れる。だから美味しく飲むためのノウハウというのは、本当に細かい事を先人が積み重ねた結果に生まれた貴重なものなのだろう。

 ノウハウは簡単に再現できたりもするけれど、ノウハウの生み出された背景をしらないと形骸化してしまう。本当の意味でノウハウを体得できたなら、その技術は常に改良され続けて変化する物なのだと思う。多分本当の意味で完成することは無い。

 もてなすと言うことは一期一会の精神でと思うのだけれどなかなか。