二日酔いと酔いつぶれ

 私は基本的に酔いつぶれるということはほとんど無い。自分の意志で布団に入って寝ることは多々あるがその場で酔いつぶれて帰れなくなるとか動けなくなる事は皆無といって差し支えがない。

 記憶があやふやにということもなく、飲み会であったことも次の日すべて記憶にある嫌なタイプである。記憶をなくしたのは学生時代一度だけである。それは以前のblogに書いたのでここではあえて触れない。

 学生時代はよく二日酔いになって次の日の午前中は立ち上がれないほどというのも何度かあった。周りは年のせいか弱くなったという人間が多い中、私の酒の許容量は徐々にだけれども上がっている。

 まず、ほとんど二日酔いをすることが無くなった。これはアルコール耐性というよりもむしろ悪い酒を飲まなくなったことに起因するのではないかと思う。

 経験則的に二日酔いはアルコールよりもその他の部分とアルコールの関係によって起こるように思う。それがいわゆる得意な酒、苦手な酒の正体では無いだろうか。赤ワインなどは顕著に飲みあわせをすると二日酔いになる。

 それともう一つ私は基本的に食べてからしか飲むことをあまりしない。空酒は好きでないのと私の場合食べながら飲むと満腹中枢が麻痺しいくらでも食べてしまうので極力食べ終わってから飲むことにしている。二日酔いしにくい原因だろう。

 ひどい二日酔いの後は当分酒は遠慮したいと思うのだけれど、その次の日にはやっぱり飲んでしまうのは酒飲みの業だろう。

 酔いつぶれないもう一つの理由は、宴会末期の他の人をみているのが楽しいからである。普段の鬱積からか派手に性格が変わる人とまったく変わらない人がいて面白い。

 たまにいつからつぶれたのかわからない人が居る。まさにサドンデスのように普通の状態からぱたっと逝ってしまう人だ。そういうひとは会話は普通にしているのだけれど次の日に聞くと全く記憶が無くなっている。無意識に会話できるなんてすごいと思う。

 私は精神的に年中酔っぱらいのようなものなので酒があってもなくても対して言動は変わらない。周りからしたら面白みが少ないかもしれないなぁ。

 だから、実は周りが飲んでいて自分だけ飲まない状況でもあまり苦痛ではない。テンション的にはあまり変わらないし、飲まないと決めたら烏龍茶で特に差し支えがない。飲み会は私にとって本来の酒を楽しむ場ではない。飲み会は飲み会、酒を飲むこととは違うのである。