連鎖2
そんなある日、彼女から美術館に一緒に行かないかという誘いをメールで受けた。正直なところ美術館に行ったことも無かったしほとんど興味も無かったが女性と出かける機会は皆無だったので二つ返事で行こうということになった。
カンディンスキー展自体はNHKが主催していたためやっている事自体はテレビで見て知っていた。日本初公開の作品などの文字が画面に踊っていたがそもそも予備知識が無いのでそれがすごいことなのかどうかもわからなかった。
当日、人の少ない美術館を別々に自分のペースで見て歩く。抽象画というものにはそれまで全く興味も無かった。作者の年代順に作品が並ぶ。若い頃は抽象画というよりもむしろリアリティ溢れる作品が多かった。あとは不思議な色使いの風景画へと変貌していく。
特に目を引くのが黄色。この作者の黄色の使い方になにか得も言われぬ魅力を感じた。ある絵のまえで足が立ち止まる。街並みがかかれている、家の壁に使われている黄色に魅入られる。このとき既に私は同伴者の存在を忘れかけていた。
その若干の余韻の中、コンポジションVIIに出会った。
確かにテレビで映像は見ていた。しかし実際に目にする2メートルx3メートルの絵から出ているオーラは自分の知っている何物とも違った。
絵にこれほど魅入られたのは生まれて初めてかもしれない。
人の少ないその日の美術館で、私はその絵の前で20分間立ちつくしていた。
あの感覚は一体なんだったのだろうか。
この日を境に私の中でどんどん退廃していっていた感覚に色がついてくる。いわゆる感受性が刺激されたということだろう。このような感覚を味わえる事はとてもしあわせな事なのかも知れない。
彼女が言っていた「良い音楽をつくるためには自分に良い刺激を与え続けないといけない。だから美術館にいったりするの」という言葉の意味が良くわかった。彼女たちは自分で受けた衝撃を自分たちの形で表現しそれがまた他人に刺激を与える。その連鎖を文化と言うのだろう。
そういう物を作り出していける人達を私は尊敬する。
そして刺激されることが出来るのは幼い頃にそういう物に触れてきたという経験から生み出されるものだろう。確かに今私は絵描きではない。ただその当時の体験というのは今の生活に有形無形に彩りとなって現れるのだろう。そしてその土台を作ってくれたのは間違いなく両親だ。そして私はまだ人の親となり得ていない。