連鎖

 随分昔の話になるが京都にカンディンスキー展を見に行った。

 小学生の頃、水彩画を習っていた。個人の家で10人ぐらいが教わる教室だったけれど七宝焼きなどの焼き物もたまにあって楽しかった記憶がある。

 コンクールに出す絵を書くのに一人居残りさせられて半泣きで書いていたのを思い出す。それが全国で優秀賞をもらえたときは何ともいえない気持ちになったけれど。

 当時、口をすっぱくして言われていたのは「原色は使うな必ず色を混ぜろ」「縁取り線は世の中には存在しない」だった。下絵をコンテで描いてその上に水彩で色をぬるというのはよく考えると本格的だったんだなぁと思う。

 あと黒、白、紫は使用禁止だったな。小さい頃に習ったことは何故かずっと頭に残り続ける。色々な小さい頃の体験が今になって何かを刺激するきっかけになっているのだろう。

 小学校を卒業してからは意識的に美術と関わり合うことはほとんど無くなった。再開するまでに実に10年の月日がたっていた。

 きっかけは自分が通っていた幼稚園に久しぶりに顔を出したことだった。通っていた幼稚園にはまだ習っている先生がおられる。幼稚園のバザーに端切れなどを提供していたこともあっていまだ細々とながらつきあいがある。

 当時、大学院を中退し起業していた私はたまたま近くに立ち寄った為に久しぶりに顔を出してみた。同期の子が勤めているという事をしり「そういう年なんだなぁ」と感慨深くもなった。

 そこで別の同期の子がチャペルコンサートを今度するから見に来ないかというお誘いを頂いた。当時は比較的時間は自由だったので「寄ってみます」ということにした。実は名前を聞いても全く記憶に無かったのだけれど。

 当日、時間はあったので覗いてみる。金曜の午後1時という時間に教会でバイオリンを聞くというのは何か異世界にいる気分がした。対象は主婦なのだろう私はひとり浮いていた。

 その後、先生の紹介で少しその子と話をする。目のくりっとしたかわいい子だったけれどやはり記憶には全くなかった。2〜3分歓談して帰路につく。

 家に帰りなんとなくアルバムを開いてみる。確かにそこには彼女が居た、大人びてはいたけれど面影は強く残っている。ただクラスが違うので忘れたというよりは元々交流が無かったのだろう。

 そんなコンサートの事も忘れた頃一通の手紙がとどく。親が「あんたに手紙きてたから机においといたで」と言われ、周りにそんな酔狂な奴がおったかいなと思いつつ部屋へ向かう。

 手紙の主は先ほどの彼女でコンサートに来てくれた礼状だった。よく住所がわかったなと思ったけれどよく考えれば幼稚園のアルバムに連絡先は載っている。それでもそれを調べて礼状を書くなんてまめだなぁと感心した。

 めんどくさがりの私もさすがに返事は出した方が良いだろうと考えた。しかし、手紙なんて書いたこともない上に字がもう問題外に汚いのでどうするか迷った。

 熟考の結果、Wordで文章つくって普通のA4に印刷して茶封筒で返事を送った。今から思うとあり得ないけれど当時の熟考はそんなもんだったらしい。とりあえず手紙はもらうのは良いが返事が無理ということで何かあったらメール下さいと書いておいた。

長いから続く