結局
何かをと思ったけれど形にできなかった。nainoさんがコメントに書いてくれた写真という案にはかなり心を動かされたのだけれど、結局の所ふんぎりがつかなかった。もうこのまま何もできないだろうなと漠然と思っていたんだけれど、昨日友人から時間切れのメールが届いた。
何もしなかったことを後悔してはいない。悩んだ末にそれを選んだ。ただ、その間自分の中でそのことに付いて考えるのが私なりの出来ることだったのだと思う。丁度同時期で、しかも同じようなシチュエーションで全くの反対の結果になった。そのことが一層伝えるというこういを忌避させた。メールのあと少し電話で話した。「お母さんは元気か?」その台詞のなかに込められた思いは複雑だろう。
実家に色々と用意を取りに帰り、母親ともそのはなしをボチボチとした。元々は友人に手紙を書こうかと思っていた私に、親父さんのほうに書いた方がよいと勧めたのは母親だ。「結局送らなかったよ」という返事に、また無精をしてと思われただろうか。そうでもないかもしれない。
ナポリピッツァ
おタキさんの誕生日ということで、前から行きたいと思っていた赤穂のお店に予約してドライブがてら出かけてきた。Psychsいわく、うまいピザを食べたいなら真のナポリピッツァ協会の認定店にいけといわれていたのだが、その最初の認定店らしい。
お店自体はおタキさんの親戚筋のウマイウマイ病の人からの紹介だったので味の心配はあまりしていなかった。正直、ホームページからもっと田舎臭い店を想像していたのだけれど、移転されてかなり改装されたらしく女子の集うえらくオシャレな店でかつ店員はイケメン男子だけで女性のウェイターはいなかった。
料理は一種類のコースのみで、好き嫌いはきいてくれるが、多分食べたいものをある程度いえるひとのほうが楽しめると思う。ピッツァも特に指定がないとスタンダードなものがでてくる感じだ。
コースの内容は前菜、ピッツァ、パスタ、メイン、ドルチェと結構充実かつ量もそれなりにあるので女性だとしんどいんじゃないだろうか。というか私でかなり満腹だった。
前菜は想像以上に美味しく、素材の良さとこれからの料理に期待を感じさせる。
次に、ある意味メインともいえるピッツァ。2種類のマルガリータをハーフ&ハーフで頂いた。私的には生地もチーズも確かにかなり美味しいけれど、出来れば具沢山の他のものも食べたかった感じ。2回目がなかなか無いという意味ではもったいない気がした。他のテーブルは人数が多いととても美味しそうな野菜のトッピングなどがされていた。パスタはショートパスタとジャガイモを多分バジル、ニンニク、チーズのソースで仕上げたものだったが、ショートパスタの茹で具合は私的にはアルデンテ過ぎる感じがした。パスタソースとジャガイモはとても美味しかった。
メインは魚か肉が選べるが、個人ではなくグループで選ぶため、両方食べるというチョイスは出来なかった。おタキさんの要望で魚料理にしたのだけれど、鯛の料理がでてきたのだが、これはかなり塩味がきいて美味しいものだった。全体的に量が多めだったので、肉だったら量的にしんどかったかも。前菜にも魚の揚げ物があったのだけれど、海辺が近いせいか海産物がとても美味しかった。ドルチェはマンゴーアイスだったが、ガボチャみたいな色でとても濃厚な美味しいアイスだった。
店からの眺めも瀬戸内海を一望できとても気持ちよく食事ができるお店だった。
こうやって一つ一つ思い出して書くととても美味しかったのだけれど、何かお店に違和感を覚えたのは何でだろう。何か悪い病気のせいだろうか。
誕生日おめでとう。
送る言葉・・・
アニメ監督の今敏さん死去とニュースをツィッターで見かけた。熱烈なファンというわけではなかったけれど、たまたまビデオ屋で手に取った「パーフェクトブルー」はとても印象に残っている作品だった。千年女優、妄想代理人、パプリカと独特の世界観のある監督だったように思う。
ファンに向けての最後の文章が公開されていたようだ。原文はサーバー落ちしているのでタンブラーのリンクをhttp://kikori2660.tumblr.com/post/1007816998/5-18
去年、母親が式のあと自分がステージⅢの癌だということをうち明けてきた。手術はギリギリできるけれど転移に関しては当然保証されなかった。それを高校時代の友人との飲み会でうち明けようと思ったとき、もう一人同じように父親が癌だと別の友人からその飲み会でうち明けられた。その時、お互いに手術が成功するよう励まし合った。彼の父親も妹の結婚式が終わるまでは黙っていたらしい。
高校時代、彼の家に入り浸っていた。夜遅くまで部活の仲間とその家にたまってエキサイトステージやスト2をやっていたことを思い出す。親父さんはゲームが好きで、よく仕事が終わった後提督の決断をやっていたりするとても身近な人だった。自分も可愛がってもらっていただけに心が痛んだ。一度は見舞いに行かないとと思いつつずるずると時を過ごしていた。そんなある日、彼から転移してもう長く無いという話を聞いた。お見舞いにという話をしたのだけれど、彼からは断られた。
たまたま母親とその話をする機会があったのだが、お父さん宛に手紙を書いた方が良いんじゃないといわれた。最初は彼に向かって手紙を書こうかと思っていたのだけれど、母親はお父さん宛に書くべきだという。自分も手術前後に頂いた手紙にどれだけ力をもらったか分からないと。
実際、机に向かって筆をもっても自分には親父さんに向けて筆を進められは今のところ出来てはいない。余命を告げられた人に何を伝えればいいんだろう?ただ彼に聞いた話では親父さんは抗ガン治療をまだ続けるつもりで諦めてはいない。だとしたら余計に何を伝えたいのだろうと悩む。
何かを送ることは自己満足にすぎないと思ってしまうということもある。送りそびれればそれはそれで何かが自分の中に刺さったままになるのだろう。彼の親父さんという微妙な距離が余計にどうしていいのか決めかねる。
失敗の中の味
なんとなく写真に撮ってみたいと思うシーンに出会う。都合良くその時にカメラを持っていることは殆どない。今日は写真を撮るぜと意気込んで、カメラを持って出かけても何も撮れない日もある。色々とままならない。
たまたまパソコンを触っているおタキさんを見ていたら無性に写真に撮ってみたくなって適当にとった。夕暮れの中だったのでうまく撮れなかったりしたんだけれど、何故かピンぼけの写真のほうが面白い味がでていたりした。
自分が気に入る写真は偶然の産物であることが多い。適当に撮っていれば面白くとれていたことが殆ど。構図なんて考えるととたんにつまらない写真になってしまう。
先日びわ湖岸で気球体験と蓮を見に朝の3時に起きて車で出かけた。残念ながら強風で気球には乗れなかったのだけれど、一面の蓮は早朝にみるととても綺麗だった。でも写真では全然思ったようにならない。一面の何かを写真で思ったように撮るのはどうも難しいらしい。