性なのか

 結婚して思うのは、生活において食事のしめる割合というのはやはり大きいということ。「食べる」ということに対するスタンスの違いというのは相当なストレスになるんじゃないのかな。

 味付けの好みの違いというものもそりゃ確かに大きいかもしれないけれど、それはある程度経ってくるとこなれてくるし、まぁうちみたいに両方が作る場合お互いの味をそれぞれ作るのでそれほど問題になるわけでもなく、むしろ色々な味が楽しめて良い結果になっている。

 おタキさんが先日いっていたけれど、「生きるために食べる」のと「食べるために生きる」という二種類の人間がいる。極論かもしれないがこの性質が違うと全く意見が合わないだろう。これは別に贅沢な食事を好むとかそういうグルメという問題ではない。端的に食べることを楽しめるかどうかということだろう。

 先日、結婚式の打合せで遅くなって二人とも疲れていたのだけれど、へたな外食をするより自分たちで作った方が美味しいので、近場で適当に済ますというのはなかなか出来ない。結局家に帰って作り始めるとスイッチが入っちゃって4品ぐらいは何かとつくってしまう。おタキさんと「これはなんというか業(ごう)だよねぇ」とお互いに呆れていた。

 実際、二人がそれほどまめかといえば実はそんなこともなく、一人だとどんどん堕ちていくタイプだ。ただなんというかお互いの目があるから微妙に手抜きできなくなって結局きちんとつくってしまう感じ。それは義務っていうわけでなく折角つくるならお互いの喜ぶ顔が見たいっていう前向きなモチベーションだ。

 そう考えると、料理がマンネリ化しないコツは常に人に食べて貰うってことなんだろうなぁ。