上がる価値、下がる価値

 物の価値は希少性によって評価されている。通常、流通に大量に乗れば製品としての価値は下がる。

 機械というものが生産現場に導入されて、生産というもののスケールは怖ろしく上がった。大量生産という軸が商売に加わった。限られた時間の中でいかに良い物を作るかではなく、いかに大量に安価に制作するかが工夫される時代になった。

 物の価値は下がり続けるにもかかわらず、総生産量は増え続け、価値の総量は増え続ける。幻想的にみればそれは永遠に続くように思えるが、いままでは圧倒的に需要に対して供給が追いついていなかった。みんなに物が行き渡ったあと、私たちの手に残ったのは大量な粗悪品だったのかもしれない。

 時代の流れの中に、取り残されつつある職人という思想。それは受け継がれにくくなり消えそうなぐらい細い。その物がもつ機能に対する価値が著しく下がったいま、いわゆる伝統工芸品に対する価値の底割れが起こっているのだ。

 簡単にいえば日常に使う器、それの価値が昔5だった。そこに職人という人たちが機能だけでない付加価値を5つけて10という価値にして取り扱っていた。機能と付加価値の割合はその間は1:1だ。

 大量生産がはじまり、器という価値は0.1まで下がってしまった。職人達は同じ手間で付加価値を足すが、機能としての価値は激減していて比率は1:50になってしまっている。ひとは元の機能に対して50倍もの付加価値を認めることは出来なくなってしまう。そして、色々なものが立ちゆかなくなる。

 こんなことを続けていった後、私たちの手には一体何が残るのだろうとふと考えた。自分の革鞄と、id:citron33さんのつぶやきをみてそんなことを思った。