懐古
あまり品の良い話ではないが、昨日の大阪出張の帰りに混雑した電車の中で、前の人が読んでいた本がふと目に入った。ブックカバーがかかっていたので、本の題名は分からなかったのだけれど、多分家具デザイナーさんか何かが書いている本だろう。
混雑した電車の中ですることもなく、ついつい後ろから一緒に読んでしまったのだけれど、そのデザイナーさんらしき人のビジネスに対する考え方が綴られているのだけれど色々と興味深い話題が多かった。その本が欲しいなぁと思ったのだけれど、見ているページからは何という本なのかは分からない。
A5サイズの厚みのある本で、紙は厚めのざらばんしだと思う、ページの端に「2003 Dialy〜」という記述があったことと、「デザインの現場」という雑誌に連載を2003年当時もっていたということ、どうもカリモクに関わりがあるらしいというぐらいしか分からなかった。途中で2004 Dialyという記述に変わったのでもしかしたらblogを書籍化したものなのかもしれない。
家に帰ってから、記憶にあるキーワードで色々と検索してみたけれどそれらしき本は引っかかってこなかった。これだけの情報で何かが分かるとは思わないけれど、もし分かる人がいたら教えて欲しい。
その本の中で、高級スーパーで買った高級みかんが、昔自分の家で食べていたミカンの味と同じだったという話が書いてあった。昔の普通が今の時代高級とされていることは確かに沢山ある。特に食品に関してはこれだけ文明が進んだにもかかわらず、(その弊害なのかもしれないが)昔の方が当たり前に手に入る物が多かったのかもしれない。
その中で、カリモク60という60年代デザインのブランドが今ある程度人気があることと絡めて、普通について言及がされていた。家具だけに限らず、リメイク、再結成、再販などが最近溢れているように思う。昔を懐かしむということ以上の何かがそこに隠されているのだろうか。
『ノルウェイの森』に、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。という人物(永沢さん)が出てくるのですが、僕は最近「永沢さんは正しいのかもしれないな」と思うんですよ。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
すでにこの世の中に出ている本、そのなかでも「読む価値がある本」だけでも、僕の人生100回分くらいの時間はつぶせるはずで、当たり外れ(というか「外れ」)が多い「新しい作品」を読むことに意味があるのだろうか?などということを考えてしまいます。
極端な話、「新作」の価値って、「発行年月日が新しいこと」「周りに読んでいる人が多いこと」以外に何があるのか?
本当に「物語」は時代とともに「進化」しているの?
[本][雑記]「新しい物語」の絶滅
色々な情報の回転速度が高まった今、本来はもっと長い時間をかけて淘汰されてから市場に出回った物が良くも悪くも皆の手に早く届くようになった。そんな中で、逆に淘汰されて残っていくべきものまでも圧倒的な淘汰されるものの波に飲み込まれて消えていっている気がする。人の認識の許容量をこえた情報が手に届くようになって、何を得るかよりも何を捨てるかが重要になりつつある。
そのスピード感に疲れた人が、わかりやすい時代への懐古を求めているのだろうか。「古き良き時代」ということばの「良き」はなにを指すのだろうか。