運が良かった

 銀行主催のセミナーなどで、いわゆる成功者の人たちの談話を聞いていると「私は普通の事をしてきただけで、成功したのは運が良かっただけです」とよく言われる。

 「普通の事」を「続けること」というのは常人には結構難しいことなのだけれど、続けてきた人が果たして全て成功しているかといえば、当然そういうわけではない。それを実感しているので「運が良かった」という言葉が出てくるのだろう。

 先日サイクスがコメントで

 オレが優秀だと思う人は、そもそもダメな会社にいるということがまったくない。

といっていた。それは結構当たっていると思う。そして、それはダメな会社に当たらない為の努力をしているわけだけれど、結果だけ見ているとなかなかそれに気がつかない。しかし、探したからといって必ず良い会社に出会えるわけでもない。

 しかし、運を捕まえる準備をしている人と、そうでない人の間では絶対的な差がある。確かに、運は良いだろう、しかし、善し悪しが出るためには出来るだけ試行を多くしなければいけない。チャンスをつかめるということはチャンスに多く出会えるということだ。あくまで「人事を尽くして天命をまつ」時点で初めて本当の運任せになる。

 講演等で「私は運が良かった、しかし、私は運をつかむための努力を最大限にした」というニュアンスで話す人はすくない。努力と運を切り離して「努力をしていたらたまたま運良く」という言い方をされる。そこで「努力すれば必ず報われる」という話をされる人もいる。それには私は非常に違和感を覚える。

 努力をしたことが結果に結びついたのは結果論だ。確率は確かに上がっているので、努力と結果は相関関係はあるが「必ず報われる」というものでもないと思うのだけれど。「正しい努力」をすることで「報われる可能性が高まる」というのが実際だろう。であれば、報われるためには出来るだけ試行を多くする。すなわち報われない努力も含めて様々な事にチャレンジしていくしか仕方がないのだろう。