年始早々

 仕事のほうがバタバタと。今年から親会社の建設の営業も何故か兼ねることになったので、色々とやることが山積みだ。ISOの内部監査も管理責任者としてやらねばいかんのでちょっとバタバタくさいなぁ。

 
 大勢が書いている共通のフレーズに、「森博嗣を見ていると、真剣に願えば夢が実現する気分になれる」といった内容が散見された。どうかな、僕はいくら願っても無駄だと思う。たとえば、これも最後だから明かすけれど、欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線に招待されるには、どうすれば良いだろうか? 「どうすれば良いですか?」というメールは沢山もらった。こういったメールには僕は答えていない。しかし、唯一の方法とは、「是非乗らせて下さい」という一言である。 願っているだけではなにも実現しない。方法を人に聞くだけでも実現はしない。自分で方法を考え、自分で手を打って、失敗やリスクを覚悟で行動する、ここで初めて少しだけ可能性が高くなるのだ。今日届いたメールで、それを書いてきた方がお一人いた。過去、JAMのコンベンションで大阪にも東京にも見にきてくれた(僕は顔を覚える)。そういった行動こそが大事なのだと、少なくとも僕は考えているので、この方は次回のオープンディにご招待したい。もうシステムを明かしてしまったので、この手法でご招待するのは最後である。
「上手い」とは何か

  個人的には今年はバタバタしたいと思っている。本来的にはバタバタするのは良くないのかもしれないけれど、願ったり、人に聞いたりばかりしている人だから、バタバタする中で前向きに物事を解決する能力を身につけて行けばよいと思う。バタバタし続けるのは間抜けだが、一度もバタバタしないでスマートに物事を済ますことは多分出来ないんだろう。そんなことが最近やっとわかったのかもしれない。

  絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。
 ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。
 もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。

 バタバタし続ける人と、それを乗り越えられるひとの差はここにあるのかもしれない。バタバタすることによって行動の作用点が浮き彫りになる。バタバタしない状態では知らないことは状況として把握出来ないのだ。無理が来ることによって、初めてどこに無理・無駄があるかわかる。知識を使うのはあくまで状況を把握してからなのだろう。

 だから、今年は必要以上にバタバタする。そして、来年はそのバタつきを抑えてなおかつそれ以上の結果を出していくようにする。