休みのすごしかたが下手

 久々の長期休みを過ごして、相変わらず休みの過ごし方が下手だなと思った。能動的な予定の構築が出来ていない。やらなければいけないことは色々と思い浮かぶのだけれど、やりたいことが殆どない。これは大いなる問題なんだろうなぁ。

 仕事をしているときは、まとまった休みが欲しいと思うのだけれど、いざ休みになるとさて何をしようかという感じ。今回はそのためにakdに沢山本を借りたのだけれど、読書に集中は長時間つらい体になっているなと痛感した。20ページぐらい読んで別の事をしてまた読書をするような感じ。

 それでも、インプットの意欲はそれなりにあるのだけれど、アウトプット要求がとんと働かない。手を動かさないと駄目だと思うのだけれど変に自縄自縛してしまう。それでもまだ、今年は墓参りにいったり散歩にいったりと外に出た方だろう。例年なら部屋に引きこもってしまっていたところだ。

 自分の部屋の快適度指数は高い。そらそういう風に部屋を常に弄り続けているのだからあたりまえなのだけれど、誰かが言ったように私の部屋は「精神と時の部屋」と同じように時間の感覚が無くなる部屋だ。一度来た人ならわかるのだが、時間の感覚がどうもおかしくなってしまう。それは窓がないことに起因しているのだろう。

 この部屋の強烈な誘惑を振り切って出来るだけ外にでて太陽の光を浴びるようにしないと不味いなと思う。仕事があるからまだ良いけれど、無ければ引きこもりまっしぐらな予感。もう少しPCを使うことを抑制したほうが良いのだろうな。

 小町や2chなどの雑多な文章を追い続けると時間は確かにつぶれるのだけれど、ふとその時間を振り返ったときの何とも言えない虚無感がいやで、最近は除くのをやめてしまった。無作為に放り込まれてふくれあがったRSSもそういう気配があるので、そろそろ整理しないと。日々貯まっていく、日常のアカを落とすのは意外と面倒だ。

 まぁダラダラなんか思いつくままに書いて分かったことは、おタキさんいないから暇ってことだった。