デジタルネイティブ2

 デジタルネイティブのつづき

 見かけ上狭くなった世界でどう振る舞うか。親しいひととより親密な関係を築くのか、それとも未知の世界へ繰り出すのかそこが大きな分岐点だ。

 日本はどちらかといえば内に向いている。そして、その弊害が「○○疲れ」というかたちで一つは噴出している。近すぎるゆえに距離感を保てないのだ。実際に近い人間とつかうには距離が縮まりすぎる傾向があるのだ。

  そして、一部外向きに向けられたものは出会い系などに代表されるものが表面に浮き出すぎて警戒されている。新しい外向きにできる未知の関係は危険も多い。それは普通に考えれば当たり前の話で、未踏の地に当然未知はまだハッキリ無く様々なリスクが潜んでいる。

 日本の報道を見ていて一番おもうことは、トレードオフというものをふまえた議論が殆どされないことだ。リスクとリターンの両方を比べて語られるのではなく、どちらか一方を取り出してきてしか語られない。そしてその語り口はいつもヒステリックだ。

 今後、世界は狭くなることはあっても広くなることは無いだろう。ということはグローバルな視点を持つ必要が出てくることは避けられない。村からでないというのを県へ県から圏へそして国、世界へとものすごい早さで世界の広さが狭くなっていく。だとすればその広がりに対応した準備を今の子供たちはしていかなければいけない。

 スケールがあがるということは単純に量が増えただけということではない。増えることによって元来とは違う問題が沢山出てくる。そういった事に気づかない人間がmixiなどで犯罪告白などをして捕まっている。あれはまさしく既存のスケール観でインターネットを利用した弊害だ。

 危険だと喚いて禁止の方向へ話をもっていくのではなく、もっとリスクマネジメント能力を育成するほうこうで可能性を伸ばしていく形にして欲しいと思う。柵で囲って安全というだけでは、柵を外すことは出来ない。しかし、柵は永遠にあるものではないのだから。これからはほぼ全ての人が否が応でもデジタルネイティブにならざるを得ないのだから。