目をつぶって暗いと嘆く

 一般にいえることだが、問題を抱えて悩んでいる人のほとんどは、問題の解決を望んでいない。そんなことはない、解決をしたい、と主張するのだが、解決方法を示すと、いやそれはできない、と言う。よくよく確かめてみると、それは「できない」のではなく、「したくない」だけだ。これはつまり、解決方法を知っているけれど、それをしたくない、という問題を抱えているのである。もう少し言い方を変えると、道はあるが、そこを通りたくない、と立ち止まっている状態だ。さて、この場合、どんな手が彼らを救うだろうか?
 by 道で立ち止まる人 MORILOG ACADEMY

 これは真理だと思う。自分を省みると、何か困っているときの解決策が浮かばないことが多い。これが不思議なことに他人事であると対応策がポンポンでることがよくある。

 自分自身のことはよく見えないからかなと思っていたが、本当に差し迫るとあっさりと思いつく。本当に思いつかない問題もあるのだろうけれど、本能的に自分が面倒でやりたくないことは表層意識に出てこないように無意識にロックしているのでは無いだろうかと思う。まさしく見ないフリ。

 結局の所、問題は環境や能力以前にモチベーションということになるのだろう。これは本当に昔から思うのだけれど、「やればできる」という言葉は反対にいえば「やらなければできない」ということだ。そして「やる」ということそのものが実は問題の種類よりも大きな問題なのだ。

 一番顕著な物はダイエットだろう。適度な食事と適度な運動で体重はある程度コントロールできる。そして、単体でそれはそれほど大したことではない、しかし、続かないのだ。

 ということは、世の中でいう才能というのは、それが「出来ること」よりも「やり続けられる」ことを指すのが正確では無いだろうか。

 そして、人のモチベーションはどこから出てくるのだろう。モチベーションを保ち続けることを元々モチベーションに溢れている人は勝手に降ってわいてくるようなものだと思っている節がある。だから、他人が簡単な事でも続かないと「なんでこんな簡単なことが続けられないんだ」と憤る。

 しかし、それは本質的には「簡単なこと」ではなく「何かをするための動力」がそもそも少ない場合が多い。たとえて言うなら、車をふたりがもっていて同じ性能だとすると、片方はガソリンは満タン、片方は空の状態だ。それを考慮せずに、車があるから走れるはずだと主張しているようなものだ。

 ということは、達成能力は能力×モチベーションという当たり前のフレームワークに落ち着く。そして、私は人としてのモチベーションのスカラーは、潜在的に決まっているのではないかと思う。大きなスカラーの方向付けを変えることはできても、スカラー自体の大きさはどうしようもないんではないかと思うのだ。よって、人はもって生まれたスカラー以上には救いようが無いともいえる。