安い男

 話題の「あたし彼女」を読んだ。これで涙ぐめるおれは安いなぁと思った。

 もともと涙腺が弱いので、ちょっとそういう系の話を読んだりテレビをみても涙ぐむのだが本当に安上がりだなと自分でも思う。

 小説として認めるかという論争もあるようだけれど、ある種読み物になれば何でも小説のカテゴリに入るのではないかな。ちょっと気になってwikipediaを見てみると、

小説とは、散文で作成された虚構の物語として定義される。

とある。韻(575みたいな)をふんでいないような形式の物語は全て小説なんだろう。結局テレビ番組なんかでもそうなのだろうけど、いくらくだらないとか低俗とか言ってみてもそれを見る人がいる限りジャンルとしては成立してしまうのだろう。

 内容的には陳腐といっても差し支えないだろうけれど、口語で情景説明がないまま淡々と進む形式があたらしかったといえるのだろうか。好き嫌いはあるのだろうけれど、私にはこの文章というのはどちらかといえばリズム的に見える。「みたいな」は枕詞みたいなもんじゃないのかと思うのだけれど。その言葉自体に意味はないし、無くても文意は通じるけれどリズムをとるためについているように思う。そもそも携帯小説自体、無駄な表現がことごとく省かれているのに、この言葉だけが冗長だ。文章の合間を埋める句読点の役割に近いのかも。

 語彙が少ない点もやり玉にあがっているけれど、逆に縛りみたいなものだと考えると、より少ない語彙で沢山のものを表現することは難しいのではないかなと思う。簡単にかけるもので差を付けることはなかなか難しいように思う。それだけ稚拙といわれるなかでも、おもしろいものとそうでないものというのは明らかに分別されるし、そもそもこの文体がパロディで色々なところで使われている時点で馬鹿にできるものではないのではないかな。

 まぁ別にこれが定番になるとかそういう事じゃなくて、時代のあだ花として一つの意味はあるのだろうと思う。それで涙ぐむ男がひとりはここに居るわけだしね。