笑われるかもしれないけれど

 幸福の第一原則
人の幸福を奪うことは出来るが、
奪い取ることは出来ない。
You can destroy their happiness.
You can never steal it.

幸福の第一原則

 久々に私的に良い記事だなと思った。

 私はどっちかといえばネガティブな方だと思うけれど、他人を妬むことはしたくないと思っている、つまらないから。皆はどう思ってきたかは分からないけれど、悩んだり落ち込んだりして暗い話をこのblogに書くことはあっても、他人がどうとかいうことは言ってこなかったつもりだ。

 幸福になることや人を愛したりすることは、私は至って能動的なことで降ってわいてくるような類のことでは無いと思う。きっかけはともかく、人を愛し続けたり幸福でいるためには自分の確固たる意思が必要だ。そうなりたいという。

 何度かこのblogでも言っているけれど、なりたいとなったとは大きな違いがあって、なりたいと思う状態が無ければ多分なったとしても殆ど得られないのではないかな。だから、他人がどうなったという結果をみても人は幸せにはなれないのだろう。そして、それってそこまで幸せなのかという疑問をもってしまう。過程がないからある意味当然だろうなと思う。

 極論だけれど、人を好きになれない人はそういった心の訓練が出来て無いとも言える。馬鹿馬鹿しいことかもしれないけれど、好きかどうかを考えないで、自分が好きだとしたら何をするだろうと思って一生懸命それをこなしてみるのも面白い。思いこみを行為に変換することで、感情は付いてきてしまうのだ否応なしに。既成事実というのは想像以上に人に影響を与える。

 そんなことを最近感じたのは、twitterでkomokoさんをfollowしたのがきっかけだ。komokoさんは気がつけばリプライで挨拶をしてくださるのだけれど、そうした日常的なやりとりだけでも心理的には相当な影響がある。blogなどを拝見していると挨拶はできるだけされるようにしているとのことだったのだけれど、日常生活においてもこういった少しの動きだけでも他人や自分に与える影響は多大だろうなぁと思う。

 自分が、今まで軽微だろうとおもってきた行為に、積み重ねることによって計り知れないほど影響を及ぼすことが多いことを今更ながら実感している。コミュニケーションの原点はやはり挨拶なのだ。そんな当たり前のことも随分と忘れていた。

 出来るだけ恥ずかしがらずに、心からありがとうと言える人になろうと思っている。それは、自分が幸せであろうとするための行為だと思っている。感謝を口に出すことは相手に感謝しているという意思表示と共に、感謝できる幸せな状態にあることを実感して麻痺しないための一つの方法じゃ無いかなと思う。