学歴

 以前にも少し書いたけれどちょっと別視点から学歴について考察してみよう。

 社会に出たら、実績が非常に大きな評価基準となる。だから、学歴も実績の一つ。もちろん、学生時代に何をしてきたかも実績の一つ。成功でも失敗でも実績だ。大事なことは、それによって何を積み上げたかをどれだけ語ることができるかであり、社会に出てからは特に社会に出てからの実績だけが問われるのである。
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 単純に学歴ということで考えると、上記のような実績という面からでなく、逆転的にポテンシャルというモノを計ることもできるのでは無いかと思う。良い学歴を手に入れるためにどれだけのことをしてきたか、これは実績だ。

 逆説的に良い学歴をあっさりと手に入れる人もいる。それはポテンシャルという名の可能性を持っていることになる。それは別に裏口入学でも変わらない。本人が持っているコネなんかも社会に出れば一つの力なのだ。

 結局のところ、良い学歴というのはエネルギーを持っている。だから実はハズレはない。ここでいうハズレが無いというのは最低水準を満たすエネルギーは必ず持っているということだ。ただしそれは社会にとって扱いやすいモノであるかどうかということは定かではない。

 問題は、そのエネルギーの本質は何かを的確に判断できるかどうかだ。こつこつ真面目にやってきた実績なのか、わりとあっさり手に入れたという潜在能力の高さなのか、その人の人脈というバックボーンなのか。何かは無いと学歴は手に入らない、それだけは事実だと思う。

 企業の採用面という話で言うのならば、面接官がそのあたりのエネルギーの質を読み解き、自社のニーズと比較して取り込めるかどうかというのが焦点になる。

 学歴の要・不要を論じるのは実は意味がない。問題は自分がラベルを必要としているかどうかだ。何にしても企業なんかに雇ってもらうにはある程度の形を示さないといけない、それは「結果(実績)」か「可能性」で、その割合は別にしても、自分が持っているエネルギー自体の最低保障は学歴で出来る。そして、別にその行為じたいは学歴で無くても、職歴でもいいわけだ。

 じゃぁ職歴より学歴が何故評価されるのか、それは、会社自体は「結果」よりも「可能性」を欲しがるからだ。早い段階で出された「結果」そのものはそれ自体はそれほど意味をなさない。結果を生み出すだけの機構を持っているという証明としか扱われないからだ。早い段階で「結果」としての意味をもつ「結果」を出している人など皆無だ。

 結果を出すことというのは実は汎用性が下がることを意味する。「結果」よりも将来より大きな「結果」を出せるかもしれないポテンシャルが企業はほしいのだ。だから職歴よりも学歴が尊ばれることが多いのだろう。

 そして、いま学歴がそれほど以前よりも重宝されなくなったのは、学歴=ポテンシャルではないことに企業が気がついただけだ。学歴にも色々な種類があることを認めて、その中でポテンシャルを追うようになっただけ。ということは、ニーズの違いだけで実は学歴自体の持っているエネルギー自体は以前と変わっていないのだ。

 買う方が賢くなったのなら、売る方も賢くなればいい、学歴というラベルを利用して自分の強みをきちんと売り込めるなら、学歴はまだまだラベルとして有用だ。判断を買い手に任せるんではなく進んで売り込むための手段にしないと駄目だろう。学歴は意味がなかったといっているのは、使い方が悪かったといっているにすぎない。