距離

 近づき過ぎると再び距離を置くことは難しいものなのかな。ある一線を越えると引き返すことは無理になるのだろうか。それは恋愛に限ったことなのかもしれないけれど。

 心の深度的に言えば、私は一度深まればそのままになるタイプなのだけれど、近いがゆえに何かあると拒否反応がでるものなのだろうか。ということは友達と言われるものは一線を越えないから友達なのかもしれない。どんなに親しかったとしても。

 ある意味その一線の意味を今一分かっていないことが一番問題なのかもしれない。家族であれ恋人であれ友達であれ深度の違いはあれ人間関係という意味では変わりないと思うのだけれど。そんなことをいっているから恋愛向きではないのだろうな。

 感情をそれほど理不尽に発揮できない身としては、ギャップを感じさせたり感じたりしていることは朧気ながら分かる。それも含めて私なんだよということなんだけれどなかなか難しいらしい。

 恋愛とは多分、強力な依存願望と支配願望の固まりだろう。どちらか片方だけということは多分ない。自立した共存というのよりもむしろ、混ざることを望むのが一番の違いなのかも。が故に思いとの齟齬に強烈なストレスを感じるのだろう。

 私は人が好きだ。私が人を好きになるということは、その人と時間を過ごしたいということであるがままのその人を感じていたい。だからその人らしくあれば別になんだって良いと思っている。自分の思い通りのものじゃなくて自分と違う他人という存在に価値を感じるのである。

 しかし、人はやはり依存したり支配したり関わりをもっと強く持ちたいと思う。影響力を持ちたいと思うのだろう。そういった思いの中で感情は揺れ動いて様々な関わりが生まれるのだろう。そう考えると私が今まで恋愛だとおもってやってきたことは鑑賞であってコミニュケーションとしては成り立っていなかったのかもしれない。

 私がよく言われる「優しいね」というのが鑑賞を基準とした一歩引いたコミュニケーションを拒絶しているような素振りだとしたら、過去にいわれてきたコトバの意味がわかるような気がする。私は不器用だから多分うまく入り込むことは今後もうまくできないだろうな。

 結果が、オールオアナッシングだとすれば、なんて不幸な2択なんだろう。本当にそれしか答えは無いものなのだろうか、あえてそこからしか答えを選ばない方が楽なんだろうけれど。自分が望んでいる人との距離ってどんなものだろう。