そうか

 考えて気がついた、思考のギャップじゃなくて感度の差なのか。

 私はどうも痛みに対してものすごく鈍感らしい。怒りの感情が薄めなので我慢が出来ないほどのことというのは本当に少ない。ほとんどのことを「ふーんそう」という感じでスルーしてしまう。それが自分だけの話で収まっていれば良い話なのだけれど、自分がそういうことに無頓着な分、他人に対してもそうなってしまうという大きな問題がある。

 無頓着というのとも少し違う、そもそも気をつけたりするポイントそのものがずれているわけだ。「自分にやられていやなことを他人にはしない」というアルゴリズムはそもそも他人と自分が同じ価値観で同じものに怒り同じものに喜ぶときにしか通用しない話だ。

 よく色々なことに対して、他の人からよく我慢するねとか頑張るねとか言われるのだけれど、私からしてみれば別にそんな大変というかそもそも意識すらしていなかったりもする。逆に他人を見ていて、些細なことで本当に沢山のエネルギーをよく発生させられるものだなと感心する。

 特に怒りは、私の場合「ここはちょっと怒っとかないと駄目かなぁ」とか考えてから怒ってるフリをするぐらいなので本当に他の人を見ていると感心する。自分にたいしてイライラすることは良くあるんだけれど他人に対しては本当にそういうことは少ない。

 そういう点というのは人と深くつきあうことに置いてはものすごくマイナスだなと思う。大きな失点じゃなく、小さな失点を積み重ねるという点で直しづらいこと極まりない。相手からすればいちいち指摘するのも面倒だが、ほっておくと知らず知らずに結構溜まってしまうのだろう。それほど深くなければ溜まる前にほかのことに流されていくのだろうけどね。

 そう考えると、この問題を解決するのは非常に難問のように思えるなぁ。時間がたたないと顕在化してこないのが一番面倒だな。