あがたいことと欲

 30を越えたあたりから「ありがたい」と思うことが多くなった。何の影響でこういう風に考えるようになったのかはよく分からないが、自分は周りに生かされているというのを理屈じゃなく体感で感じるようになった。

 周りの色々な人が一緒に居てくれたり、時間をとってくれたり、頭を悩ませてくれたり、心配してくれたりする。そういうすべてに対して本当にありがたいなと思う。

 そのころから、人に頼まれることに対して面倒くさいと思うことが著しく減った。そして快く気がついたことは前向きにやることにしている。同じ引き受けるなら快くしたいし、お互いが気持ちよくなればそれに越したことはない。

 今までは本当に感謝をしてこない生き方だったように思う。不満を持つことは簡単なのだけれど、実はそれは自分を常に飢餓状態に置くことに似ている。常に満足できない、満腹中枢が狂い食べ過ぎて死んでしまう金魚のように何かをただ追い求める。

 向上心と欲は言葉を換えているだけで同じものだ。夢と欲望の差違なんて実際のところありはしないのかもしれない。実際何が違うのか考えてみたが、私の中ででた結論は現在を軽んじているかどうかではないだろうか。

 自分の足下を見失い、現状が何によってなされ、存在するかを忘れて先を求めて最後にはこけてしまう。そんな状態をたぶん欲に溺れるというのかもしれない。

 人は多分成長し続けなければいけないと思う。何故という問いには生物は生存し続けるのが本能てきな命題でなおかつ生存するためには成長して適応しなければいけないからだ。

 Ashに以前「あふろは欲を悪いものだと思ってるよね」といわれたことがある。正直全くその通りであまり好きではなかった。でも欲だけにも限らず、全てのものは多分大きな力を持つほど向ける方向によって良くも悪くも働く。一部をみて否定するのではなく長短を見極めて使いこなすことが肝要だろう。

 そのための「毎晩のありがとう」だったのだけれど、まだまだ見えてなかったことが多すぎたみたいだ。自分のことを全て知ることは出来ないけれど、出来なかったからといって諦めたら分かることがもっと減ってしまう。間違いは多分なくすことは出来ないけれど、減らすことはできるだろう。

 調子に乗りやすい自分にとって、原点を忘れないことは非常に重要だと思う。