一期一会とか

 お茶会を眺めてみて思ったこと。私は全然お茶については素人なのだけれど、何回かお茶会というのを見ていると色々と面白い。流派などでも所作は全然違うし、場所も、人も当たり前だけれど色々だ。

 お酒の話しと同じで、本質はやはり来られた方に楽しんで頂くことを皆さん考えておられる。それは良くわかった。楽しむことにたいして、招く方も招かれる方も真剣勝負なのだろう。一期一会というのが本質だとすれば、作法はお互いのコミュニケーションを取るための約束事なのだろう。お互いの意図が正しく伝わるようにという。

 幸いにして、私が招かれた場所は堅苦しくもなく、お茶を知って貰いたいという意図から色々なお話しを聞かせてもらえることが多かった。だとしたら、お茶を楽しむことに特に習う必要があるかというと、そのあたりはどちらでも良いような気がする。まぁ知っておくに越したことは無いのだろうけれど。

 そのあたりは、お茶のお稽古自体が招くことを学ぶことなのか、その場にいるためのことを学ぶことなのかというのがずっと疑問だった。場にいること自体に何か必要だという敷居があるのかどうか。実際は本当に最低限知って置いた方が良いことは当然あるだろう。ただ、人を招くということを考えたときに、それに縛られすぎるのもまたつまらないのだろう。

 人を招くことが好きなので、お茶会というのを見ていると色々と勉強になる。お茶会はお茶を点てるだけでなく、軸や華、菓子やら趣向がはいる総合的なものだ。そういったものを見ていると、人をもてなすことの楽しみを本当に感じる。

 先日の中村勇吾さんの話にもあったけれど、サイト作成なんかも人を招くという意味では同じなのだろう。彼は仕事につかみの驚きと納得する驚きの二つを盛り込むという。そのあたりは趣向でお客を楽しませる上質のエンターテイナーだということだろう。

 自己満足にならない仕事の原点もそのあたりにあるのかもしれないな。