ISO9001

 知っている人は知っている品質管理の規格。親会社のISO管理責任者になって、サーベランスを受けることになった。今日で不適合もなくつつがなく終わった。ちょっと自分の中で思うことを無差別に書き殴る。多分他人が読む価値はあまりないよ。

 大規模なところはともかく、うちみたいな小規模な事業所ではISO認証取得しても形骸化しているところは多いだろうなと思う。実際、制定時には実効性があったものも、人が移り変わったり、時代の流れでマネジメントシステム自体が形骸化してそれが是正されていない場合もあるだろう。

 何かにつけて手順を作ることは、面倒も増やすことになる。かといって手順をあまりにも省略すると、そもそも規格としては成り立たない。今回監査員の方と休憩時間などにその辺りについても少し話してみた。

 内部監査などで、マネジメントシステムが実際実行されているかの監査は当然行われている。しかし、認証取得後ある程度の年数が立つと、実行自体は当然となってくる。そうなってくると監査自体が形骸化してしまうのだけれど、そこで次のステップに移って実効の測定を監査していくことになる。運用されているかではなく、この運用形態で意味があるかの査定だ。

 それは、実地において手順が複雑化することで逆に拒否反応で全てが実行されなくなる過程などを検証していくということだ。本来システム自体は、手を煩わせるものではなくて、逆に簡略化するために導入されるべきものだ。そのあたりが本末転倒になりがちである。実効性のあるシステムは大抵シンプルなものだ。そして、複雑化したものをシンプルに洗練することがシステムの成長となる。

 それは、最初から簡略化されることでは生まれない。だからこそ最初は面倒でもがちがちにしてしまう。その中で体感によって贅肉をそぎ落とし精査する。この過程によってシンプルになったシステムは最初から簡略化されたものと違い、本当に洗練されたものになる。面倒でもその過程が必要なのだ。

 うちのような小規模な会社は、ここのパーソナルな特性によって一見会社の特徴を出していっている。会社の特性と思われているものが、実はたとえば営業個人の特性だと言うことはよくある。会社というシステムの特徴ではなく、あくまで個人の資質に依存している。これは経営者からすれば非常に危険だ。

 上手く回っているときはそれでよいのだけれど、退社、病気など色々な理由でクリティカルな人材が欠損したとき、会社の製品(この場合は広義のサービスや工事なども含んだ製品)の品質は大きく変わってしまう。人数が少ない場合はその影響があるのは避けられないのだけれど、その低下幅を出来るだけ下げるために必要なのが、個人のノウハウをいかにシステムに取り入れるかである。

 ここで重要なことは、システムは個性を抑制するものではなく、個性を共有化して全体を底上げするための機構だということだ。それぞれの個人がもつ資質で有効なものを以下に一般化してみなで共有するかということがシステム導入の目的なのだ。それは製品の品質の安定化を意味する。

 また、会社を様々なモジュールの集合と見たとき、こういった規定や手順は、各モジュール間の情報共有のためのプロトコルになる。そのつなぎの部分をきっちりと規定することで、モジュール内部(各部署のなか)での運用は各々がやりやすいようにすれば良いと思う。

 システム自体の評価をするためには、そのシステムで何をしたいかを明確にしなければいけない。