自分探しという名の病

 私も厨二病患者なのだけれど、自分探しという病は何とか克服できたのではないかと思う。青い鳥症候群というのが有るけれど、メーテルリンクの青い鳥の話は実に示唆に富んでいる。

 戯曲の青い鳥では、旅に出た二人が最終的に青い鳥を見つけるのは自宅な訳だけれど、結局家の鳥は逃げてしまう。即ち探すべき対象は既に目の前にあり、ありながら手に入りにくいものなのだ。

 自分を探すということは、結局の所なりたいものに能動的になるということだ。違う場所にあるものではなくて、違う自分に変わることだ。自分というものは変化の積み重ねであり確かに実体は無い。変わるためには、変化の過程である自分をある程度理解しなければいけない。そして、その中で「本当の自分」(と本人がおもっているもの)との差異を自分で埋めていかなければならない。それは誰かが埋めてくれるものではない。

 そして、実は本当の自分(と本人が思っているもの)になる過程こそが本人の満足を生み出す。環境に全てを依存して彷徨い歩く人は環境が目的になっていて、そこで何をしていくかが曖昧だ。望む環境になっても自分が変化できなければ結局の所満足できない。環境は確かに重要な要素だが、あくまでも環境であり、そこで何かをするのは結局の所自分なのだから。

 今の私にとってのblogは、自分を変えるための思考空間であり試行空間でもある。自分の状態を定位させずにどうやって変化し続けるかそれを考えるための一つのツールだ。