果たして過程は省けるのか

 端的に言うと結果だけがある状態で人は幸せになれるのだろうか。人の情緒は状態の変化によって刺激を受ける。喜怒哀楽は状態の変化への反応だといえる。

 人は慣れる生き物だと言われる。同じ状態であり続ける以上、たとえどんな状態であっても満足できないのだと思う。未知のことに対して、過程を通じて結果を出すことによって初めて充足されるのだろう。

 相手がパーしか出さないじゃんけんを延々に続けることができないように、勝利という一見甘美な結果であっても変化が無ければ人の欲求を満たさない。負ける可能性があり、その中で勝つことによってその揺れ幅がその人の満足度になるといえる。

 江戸時代の人達がいまの私たちの生活をみれば夢のようだろう。しかし私たちはそれでも満足はできない。それはもっと低い状態を自分が体験していないからだ。問題は速度ではなく、加速度だ。しかも揺らぎのある。

 宝くじに当たると不幸になるだろうなというのはそう言う点にある。一度大きな状態変化を体験すると色々な意味でふだんの生活では満足できなくなる。加速度を得た行為そのものが偶発的な上にとてつもなく幅が大きいので、本人がそのあと、それ以上のインパクトを持つ体験をしづらくなるのだ。そして過程を伴わない結果は、自分で制御できないところで暴走する。そうなると、上がったのと同じ以上の振り幅で沈んでいくことになる。そうなるともう目も当てられない。

 だとすれば、自分が幸せになるためには、結果を出す過程である自分を作り替え続けて自分というものが出力する結果を変え続ける必要があるということだ。逆に変化がそれほど大きくなくても、絶えず変化し続けられれば人はずっと幸せでいられるのかもしれない。