手紙

 丁度1年前ほどに初めてなあなあになっていた悪筆修正を今年の一つの課題にしたいと思う。

 学生時代には、ノートを取るのが非常に嫌いだった。そもそもの記録嫌いは、小学生の頃にあったノート提出という行事が嫌いだったのが発端。なぜ、教科書に書いてあることを板書して、それをそのままの形でノートに写さなければいけないのか分からなかった。

 ノートを取ること自体、当時は面倒なことだったし、覚えるという意味では特にノートを必要としていなかった。自分の必要なことだけを自分が考えて記録すれば良いじゃないかという私の主張に、当時の担任は私が納得する答えを返してはくれなかった。

 結局の所、必要以上に反発したことで、字を書くこと自体が嫌いになってしまった。自分の汚い字をみるのも精神衛生上良くなかったし。たまに思い出したかのように10ページぐらいノートがうまると、物凄い達成感があったのを覚えている。

 去年の日記をみれば思い出すのかもしれないが、切っ掛けは忘れたが字をもうすこしマシにしたいと思ってアマゾンで六度法の本を買って練習を始めた。書き取りという行為そのものは続かなかったけれど、しごとでテキストファイルにまとめていたものを意識的にペンで実際に書くようにしてから随分とマシになった。

 そうなったとはいえ、まだまだ中途半端なモチベーションのまま続いていたのだけれど、最近礼状を書いたりするようになると、やはり何か修練は必要だなと思ってしまう。とりあえずかける恥はかいておく、ということでakdに駄目出しされながらも手書きで礼状を書いてみたり、遅くなりながら年賀状を手で書いてみたりと恥を紙に書いて送っている。そういった需要を作らないとなかなか上達もしないだろうから。

 とかやっていると、意外と手紙というものを書くことに苦痛を感じなくなって、楽しく感じてきた。これが進んでいくと筆まめになれるだろう。先週末本屋にいくと便箋が置いてあったのだけれど、普段目もくれないが少しそれを眺めたりもしてみた。かといって手紙を書く相手も特別いるわけでは無いのだけれど。

 マチヤに先日ポストカードの見本を頂いたので、それを誰かに出してみるのも良いかなと思う。誰に出すかは非常に悩むけれど、おタキさんにじゃぁ私に出してよと言われたので、それもありかなぁとかぼんやりと考えている。

 blogも多人数に宛てた手紙のようなものなのだけれど、字とは別に何かを書き記すことに楽しさを覚えたので、字を綺麗に書きたいと思い始めたのかもしれない。最初は人に手紙を出すときも印刷していたのだけれど、何か違う気がしてきた。何故そんなことを思い始めたのかは良くわからない。

 ただ、礼状一つにしても、時候の挨拶という儀礼的なものの間に、自分の想いを素直につづって相手に届けるのは何かドキドキするものだなぁと思う。手紙というものをそれほど深く考えたことは無かったけれど、人に何かプレゼントをあげるときと同じ高揚感がある。想いを相手に送るというのもよく考えればモノかコトバかの違いで本質的には同じなんだと今更感じた。