教えることの難しさ

 連休を利用して囲碁合宿をしました。今回はならけんではなくて勉強会で。ということで私は教わる側ではなく教える側でした。9路盤である程度形が付いたので、19路盤に挑戦してみようというのが今回のコンセプトでした。

 正直、これだけ長い期間教えたことも初めてでしたし、ルールを知らない状態から開始したので9路から19路に移るときに、どう説明したら良いのかどうもまとまらない状態でした。悩んだあげくぴょんちゃんにお願いして協力して貰うことにしました。

 ぴょんちゃんは前日入りで二人で飲んでいたのですが、急遽ノリでやまさんを呼び出すことに。ありがたいことに9時過ぎからこちらに出てきてくれました。結局、合宿は先生x3、生徒x3でマンツーマンになりかなり気が楽にさせてもらいました。(指導以外にも食べ物の準備とか後かたづけがあったので)

 こんかいぴょんちゃんに声をかけたのは、ぴょんちゃんが今教えている人達に一体どういった風にするのかなぁという興味からでした。実際、合宿が始まってそれぞれが3人の生徒さんと打ったのですが他の二人の打ち方をみてあまりの打ち筋の違いに焦りました。

 やまさんと後で話をして、色々な差異についてもある程度理解できました。昔に感じた本質はやはりなかなか捨てられないものだなと痛感することになったわけです。「愛がない」認定を残念ながら頂きました。

 そういえば、アスバあたりにも同じ事を言われていたので根本的にずれている発想なのかなぁとも思います。方向的に、分かりやすくする努力と楽しませる努力この軸は別ということが今回の発見でした。やまさんの「おまえがその碁でなにをしたいのか分からない」という台詞はずばり核心をついていたように思います。二人の指導碁の打ち方をみて違いには気が付いたけれど、楽しませる打ち方に関することはあまり考えたことも無かったので正直それからの指導碁はどう打てば良いのか良くわからずに打っていました。

 やまさんにも言われましたが、別にプロを目指すわけではなく、今教えているのはあくまで強くなるというよりも楽しむ要素が強い会です。最初の頃にぴょんちゃんに教え方を聞いたときも、楽しませたらそれで良いよと言われていました。自分自身そのことをいまいち理解できていなかったようです。

 生徒さんたちが、彼らに合わせて効率よく強くなるにはどういうメニューが良いかなぁと考えたことはあっても、どうやって楽しませるかなぁとそれほど考えていなかったような気がします。最初の頃は考えていましたが、ある程度興味が続いた時点でそちらの方はおざなりになったというのが実態でしょうか。方法論の是非も少し話をしましたが、その辺は負け惜しみのレベルで目的がずれていればそんな話は空しいだけです。やり方どうこうよりどう思ってそれをやったかが問題ですから。そのへんもずっぱりおタキさんに突っ込まれているわけですが。

 結局、方向修正を色々と考えないといけないと思い、合宿では積極的に打てなかったのは残念でした。その分やまさんがみんなの相手をしてくれていたので非常に助かりました。こうやって教える側も複数いると本当に色々なやり方があると感心します。生徒さんたちもいつもと違う雰囲気で楽しめたのでは無いでしょうか。みんな7〜8局以上打っていたようです。

 色々な意味で、今回の合宿は勉強になりました。今まで生徒さんたちも私にしか習っていなかったので、先生の対比ができなかったけれど、これでまた一つ違う楽しみも感じてもらえたのではないかなぁと思っています。やまさんやぴょんちゃんにはまた参加してもらえたらなぁと思います。

 まぁでも自分は自分なりにしかやれないし、どんな形であれ教えるということを続けていかないと分からないことだろうと思います。やり続けていれば私自身もどんどんレベルが上がるようになるでしょう。生徒さんたちの囲碁の実力と同じように私の指導者としての実力も始めたばかりですから。