トラックバックの憂鬱

 トラックバックというのは、どちらかといえば一方通行だったWEB世界を双方向にしやすくなった面白い機能だと思う。自分としては言及していたとしても打つかどうかは本当に悩ましくてドキドキするのだけれど。

1.自分に向かって書け。

未来の自分に向かって書け。このときの自分はどのように考えていたか、どうしてそのように考えていたかがわかるように書くべきである。自分に向けて書くことで、あとで読み返したときに、自分自身の連続性や変化、何に影響を受けていたのか、今と何が違うのか、どうしてそのように変わったのかがわかるであろう。

2.特定の人に向けて書け。

どんなに大きなアクセス数を誇るブログも、身内だけが集まるブログも、書いたものを読ませたい相手が存在する。これは私の推測に過ぎないが、人気のあるブログであればあるほど、たった一人の人に向けて書かれているのではないだろうか。

3.たまたまサイトに辿りついた誰かに向けて書け。

 ブログは3人に向かって書け。-304 Not Modified

 トラックバックを打つことは公開私信に他ならないと思う。ある程度交流があれば打たなくても巡回されている可能性はあるのだけれど、見て欲しいという明示的な主張ということで。

 私の場合、トラックバックは対象記事の書き手にむかってという意味合いが多い。本来は対象記事を閲覧した人が関連記事として読み上げしやすい為のものなのかもしれないけれど、3より2の意図の方が大きいわけだ。

 なので、単にネタとして引用した場合はトラックバックは打たないようにしている。折角書いた文章だから自分が対象としている人に見て欲しいという思いは絶対にある。ただやはりそれほど楽しませたり納得させられる文章をかける訳でもなく徒然なのでトラックバックを打つかは本当に悩む。文章の出来もだけれど、この記事の中身に、伝えたい思いがあるだろうかと。

 今までは、どちらかといえば身内に向けて殆ど書いていたので、トラックバックを打つまでもなく対象者に見て貰うことができた(と思っているが実際見ているかは謎)まぁ日々のこともだけれど、まなめさんからリンクを貰ったりして、ネット上のサイト論であったり色々な話しに混ざりたいという欲は確実に増えている。

 元々、サイト論とかそういう話は凄い好きで、べつにサイト論でなくても何かについて考えたり討論したりするのは好きだ。なかなか相手は居なかったけれど、blogという形でそういうものを最初は勝手に発信できれば良いやと思っていた。ただ、りんふらとかを読んでそういう共通の話題の中に踏み込んでいくことで他人と自分の思考の差異を比べたり、自分が思っていて言葉にならないことを他人がずばっと語っていたりするのを見ると本当に楽しい。

 今までは、サイトを見て頭の中でぼんやり考えているだけだった。でも日々のことを文章にする習慣がついてくると、考えを文章として吐き出す楽しみを知った。「りんふらにいまさら乗っかってみる」というのはそうした彼らの残した足跡に自分なりに乗ってみようとおもって書いてみた。そこで「最近、もっぱらさんやAFTERZEROさんがりんふらへのお題回答記事を書いててうれしかった。私、ちゃんとそういうの見てますよ」とかボソッと書かれたりするともうしびれてしまうわけだ。

 見られているという意識は、恐ろしく緊張を生む。チラシの裏とはいいつつもどうやったって意識をしてしまう。自分の想いを書き出すことは変わりが無いけれど、まとめ方であったり、文章力であったり、少しでも工夫しようという気が生まれてくる。最近すこし下がり気味だったblogに対するテンションが上がっているのは間違いなくそのせいだし、そういうものが無ければやはり続かないのだろう。

 そういう意味では、スパムでなく思いがあるならどんどんとトラックバックをとばすのも良いかなと最近思っている。文章力がショボイからとか考えていたらいつまで経っても出来やしないから。

トラックバックを2回してみたが何故か出来なかったorz