火の用心と左義長

 きのう久しぶりに早く家に帰ってふと思ったのだけれど、地元で小学生が回っていた火の用心がいつの間にか無くなっていたのだろうか。随分長い間聞いていない気がする。

 小学生の頃、火の用心と左義長は年末年始の楽しい行事だったような気がする。地蔵盆もそうだけれど、あれはお参りよりももらえるお菓子が嬉しかった。普段は買ってもらえないお菓子の山をみてにやにやしていたものだ。しかし、今から思うと見たこともないようなお菓子が多かったのは駄菓子屋の在庫処分もかねていたんだろう。

 小学校は分団登校という形で、地域ごとに集合して上級生が下級生の面倒を見る形で登校するのだけれど、その中でも色々なコミュニティが小さいながらに存在する。私は今からは想像も出来ないが、男と混ざることは苦手でもっぱら女の子と遊んでいた記憶がある。野球やサッカーがあまり好きで無かったからかもしれない。

 小学4年生のころからファミコンが流行して、遊びの形態が一気にかわったようなきがする。下級生のころはビー玉やメンコをしていたのがいつの間にかスーパーマリオに取って代わられていた。ある意味あの辺りが変革期だったのだろうか。

 先日の忘年会で、麻雀をやらない組が初代ファミコン桃鉄をやっていて久々に単純に熱くなったらしい。それで思い出したのが左義長だ。左義長どんと焼きやら地域によって色々な呼び名があるとおもうが、竹を合わせた大きな松明に正月飾りをいれて15日に焼く行事だ。さすがに組み立ては大人でないと出来ないが、子供たちが前日焼く前に寝ずの番をする。

 地元の公民館に泊まって、定期的に左義長が壊されないように見張るのだ。当時は、左義長を夜中に壊しに来る不届きものがいてそれをされないための番。しかし、私が体験しただけでも2回ほど壊されてしまった。小学生だけが番をして実際に意味があるかは非常に今から考えると微妙だけれど、自分たちだけで夜を徹して番をするのは本当にドキドキな体験だったのだ。

 地元を回って寄付をあつめ、左義長を作ってその残りで寝ずの番の為の夜食を近くのスーパーへ自分たちだけで買いに行く。対象は4〜6年生なので6年生がしきって色々と決めるのだけれど、普段は自分たちの意志で菓子類を買えないことを思うと本当に至福だった。

 見回りの間の時間つぶしに、ゲームを持ち込んでいたのだけれど、その時にいつもやっていたのがみんなで桃鉄だった。期間を100年に設定して延々とPCエンジンでやっていた記憶がある。起きていないといけないので丁度良いのだ。夜が明けて、朝太鼓とラッパをもって「た〜きまっせ、たきまっせ」と町内を練り歩くまでの間そのゲームは続く。

 そういった行事も、危ないとか小学生にお金を自由に使わせるのはどうかとかいうPTAの抗議で無くなったらしいというのを風の噂で聞いた。そういう話を聞くと、近所づきあいというのが希薄になるにつれて、共同体という意識が本当に育たなくなったんだなぁと思う。良くも悪くも昔は近所が存在しないと生活していけない農家的背景があったのだけれど、もう隣が誰か分からない状態でも生活に困らない時代になったのだろう。

 そういう意味では、つき合わなければならない人の絶対数は減った。人に出会える可能性が増えた分、密度や必然性は下がったのだろう。どちらが良いかは一概に言えないけれど、現実に対して、世の中のシステムはその変革をまだ受け止め切れていないように思う。それがは色々な歪みとして出てきているのではないかと思う。