礼状

 先日の忘年会で、akdのお父さんに蕎麦を打っていただいた。今年で3度目になるのだけれど本当に好評だ。蕎麦、つゆ共に私が食べた中では群を抜いて美味しい。多分専門店よりも美味しいように思う。

 以前は、akdに「お父様によろしく伝えてください」と言っていただけだったのだけれど、おタキさんの影響で最近は有り難いと思ったら礼状を出すようにしている。前回akd邸にお邪魔したときに蕎麦をご馳走になったときも、礼状を書いてみたのだけれど、その時は手書きではなく便せんに文章を印刷した。

 私は人並み以上に字が汚いので、さすがにはずかしくて直筆することから逃げて、サインだけ直筆にしていた。しかし、実際に礼状などを書き始めると、やはり折角出すなら印刷は味気ないなぁと思うようになるわけです。そういった心境の変化から、少し前より出来るだけ会社でもメモ書きを丁寧にかつ意識的にペンをもってメモるように心がけている。

 やらないよりマシで、以前は読むのが困難だった字も一応判別可能な程度にはかけるようになった。ということで、良い機会なので直筆で手紙を書いてみることにした。

 文章に関しては、blogを書く習慣がついてから、思っていることを文章化することは随分と楽になった。時候の挨拶はさすがに書き慣れていないので調べるとしても、本文は自分の言葉で綴ることができる。これもひとつやり始めると楽しいことなのかもしれない。

 自己満足に過ぎないかもしれないが、自分が相手に貰った心遣いに素直に有り難いと思えて感謝の意を示すことはこころすこやかに過ごせる一つのコツでないかとおもう。自分の身の回りで起こっていることは、決して当たり前でも何でもなく自分一人で生きていけるわけでもない。そういう意味で、自分が存在するためにどれほど周りから恩恵を受けているかを再確認できる時間だと思う。

 正直なところ、以前はこういうことは親にさんざんきっちりしなさいと言われても、心の中の実感が無くどうでも良いと思っていた。最近になってやっとそういった人として最低限のことをやっていこうかという気になってきた。とはいってもまだ年賀状は書けていないのだけれど。

 とりあえず、1時間かけて礼状は完成した。できるだけ丁寧には書いたけれど、やはり客観的に見てお世辞にも綺麗とは言えない字だ。akdとIRCでしゃべりながら「礼状を書いているが字が汚いよ」と言っていたら「そんなのは気持ちだよ気持ち」といわれ、まぁそうかと思い「一応おかしくないかシャメとるから見てよ」とみてもらった。

 「これは酷いから、印刷した方が良いよ」とあっさり言われた。くやしいので意地でもそのまま送ることにした。恥をかいて人間は成長するのです。もうちょっとガンバロウ。