開運橋に思ふ

 初めて盛岡に行ったとき、まず見たのは開運橋だった。私が岩手という土地を選んだ理由は様々だ。まず、センター試験が偶々良かったので2次試験が面接だけの学校を探した。その条件を満たすのは九州、東北、そして北海道だった。

 脱ぐのは限界があるけれど、着るのは調整しやすいという理由から北へ。そしていくつかの候補から盛岡を選んだ。六三四の剣でみた盛岡、宮沢賢治が好きだったこともきっかけだったように思う。

 大学の面接で、千葉先生に「どうして滋賀から岩手へ?」と聞かれたときに、「盛岡に憧れていたからです」と答えて、不思議そうな顔をされていたのを思い出す。

 六三四の剣のなかで北上川を北上から盛岡にむけてボートでのぼってくるシーンがある。合宿から逃げ出した先輩と出会うのも開運橋のうえだ。だから自分もいちど開運橋の上に立ってみたかった。

 そして、盛岡を離れてから、盛岡に帰ると開運橋の上に立つと「盛岡よ、私は帰ってきた」と思うわけです。開運橋から眺める北上川は、県庁所在地の駅前とは思えないぐらい穏やかだ。てくりの創刊号の写真にもあるのだけれど、本当に心が落ちつく風景だと思う。

 てくりの盛岡の地ビール、ベアレンの中嶋さんの取材で何故盛岡なのかという質問に、それと同じような事が触れられていて凄く納得した記憶がある。寂れたともまた違う落ちついた優しい雰囲気を何故か盛岡に感じてしまうのだ。

 盛岡市街は、川と橋の街だと私は思う。北上川と中津が街を挟んでいる。その上を様々な橋が架かっている。開運橋をはじめ、中の橋やら上の橋、下の橋、夕顔瀬橋など多彩だ。橋ごとに違った風景を眺めるのは楽しい。

 かよい同棲時代、大学から館坂橋を毎日渡って夕顔瀬の彼女の下宿までかよっていた。今から思うと大学から一度箱清水まで行って、それから夕顔瀬まで自転車でいく気力というのは何処から沸いていたのだろう。極寒の冬路をマウンテンバイクで走っていたことを思い出す。そして、橋の上は風が通って本当に寒い。

 橋から見える風景は少しずつ変わっていく。次に盛岡に行ったときに、開運橋からはどんな風景画広がっているのだろうか。