盛岡てくり

 大学時代を盛岡で過ごしてから、第2の故郷だと思っている。何故か盛岡に行くと「盛岡に来たというより帰ってきた」という感じになる。

 まぁそんな感じの思いを発散させる為に、てくりというミニコミ誌を購読している。これを見ると盛岡に帰りたいなぁとしみじみ思ってしまう。

 私は盛岡のあの刺すような寒さの中で生活するのが何故か好きだ。秋と春がない所だなぁと思う。盛岡で最初に過ごした冬は本当に寒かった。風呂は凍るし、普通に部屋にペットボトルを置いておくと朝には凍っていた。冷蔵庫をあけると暖かいような部屋だった。まぁ古いアパートだったのだけれど。

 今回のてくりの特集は「ふるいもの」ということで、今の自分の心情にある意味ぴったりな特集だった。昨日とどいて、音楽をかけてヨーグルトを食べながらなかなか楽しい読書の時間を過ごした。この冊子の記事は人の温かみがあって好きだ。広告をつけない自由な紙面作りをモットーにしているようで某筋から聞いたところ資金繰りがかなり大変なようだけれど出来るだけ頑張って欲しいと思う。

 滋賀にから私にとって盛岡をどう感じただろうか。自分の想いを振り返ってみたいと思う。

 最初に新幹線で6時間半かけて盛岡についたとき、延々真っ暗な中を走っていた新幹線のまどに、駅回りの明かりが一つの固まりとなって目に入ったのが印象的だ。まるで漫画のような光景だった。真っ暗な中に浮かび上がる都市。それが一番最初に見た私の盛岡だった。

 関西の片田舎、滋賀に住んでいる私にとって盛岡という地方都市は何もかもが違う所だった。滋賀の湖南は田舎であっても、東海道本線の沿線なので京都、大阪、神戸の三都市に電車一本で簡単にでられる便利のよい所だ。京都なら電車で30分なので本当に県内と感覚は変わらない。

 当時はまだインターネットも普及しておらず、買い物はもっぱら実店舗で買うしかない頃だった。基本地方都市は中距離移動することはなく、その都市で全てのモノが賄われることになる。

 まず驚いたのは、東北本線の本数の少なさ。というかその都市で全てを賄うのだからあとから考えれば当たり前なのだけれど、こちらで言う草津線レベルの電車が東北本線と名乗っているのに驚きだった。というかワンマン電車という存在を初めて知った。

 それと、町の中心街の本屋の小ささに驚いた。当時京都のジュンク堂やらを当たり前のように思っていた私は、そのあたりの町の本屋レベルの店しかないと聞いて途方にくれた覚えがある。今ならアマゾンで事足りるのだけれど。囲碁の本やら歴史書が主な対象だったために、本当にそれはつらかった。

 大学の入学式の日、4月にもかかわらず雪が降っていた、寒さに耐えられず入学式を逃亡してアパートに帰った。「何もない寒いところ」それが私にとっての最初の盛岡だった。