オリオン座

 このぐらいの季節になると、丁度家の前の橋のあたりで夜に空を見上げるとオリオン座が見える。息はもう白くて、あまり長くは見られないけれど。それでも、自分の吐く息が少し視界を曇らすのがまた何ともいえないのだ。

 2年前までは、そうしていると玄関からボブがのそのそと出てきて、私の方を眠そうに見上げていた。橋を渡った先の碁会所の入口のコンクリートに腰掛けると、まるで当然であるかのように彼女は私の後ろに周り、脇の下から顔を突っ込んで私の横に座った。そして何を見ているのと問いかけるように私の顔を見上げていた。

 彼女がガンで私の前から居なくなってから、私はそういう時間を過ごすことを忘れていたように思う。忘れていたというよりも、そういう時間を思い出すのがつらくて無意識に避けていたのかもしれない。

 18の夏にうちに来た彼女は、どんどん成長して私を追い越し短い天寿を全うしていった。ガンとの闘病生活も含め、私にとって始めて触れる現実感のある死だったのかもしれない。

 親の何ともいえない配慮で、私は彼女の亡骸を見ていない。本当に急に消えてしまったのだ。それは本当に良かったことだろうか。とは言っても親を責める気にもならず、ただ主の居なくなった犬小屋をぼんやりと眺めていた。それも父親がすぐに処分してしまい、私の手元に残った彼女の面影ははずされて小屋にかけられていた首輪だけだ。

 正直なところ、良い飼い主とは到底言えなかった。無知でもあったし怠惰でもあったとおもう。それでも私は彼女のことがとても好きだったし、長生きをして欲しかった。

 また私は、これかもオリオン座をみて彼女を思い出すのだろうか。