礼儀作法

 私は基本的に不作法なので、会社から懇親会に行ったりするときは社長に「お前はがっつくからとりあえずそれだけはしないようにしろ。食べないと損みたいにするのは恥ずかしいからやめなさい。食べる場所じゃなくて交流のための場所だ」といつも念をおされる始末です。
 食い意地が汚いのは今に始まったことでは無いけれど、昔に比べるとこれでもマシにはなったほうだ。あまり自慢にはならないので、少しずつでも意識していきたい。
 本性はともかく、この年になると適切な立ち振る舞いが出来ないと自分だけではなくて、同伴者や関係者も一緒に恥をかかせてしまう。さすがに厚顔無恥な私としても周りを巻き込むのは本意ではない。せめて、あの人は一体何かしら恥ずかしいとは言われないようにしたい。

 以前、すこし交流のあった女性に、立ち振る舞いや服装などについてのアドバイスを受けたことがある。中身が大事で外見はそれほど重要では無いという雰囲気の私に、外見も中身のうちと諭してくれました。相手の商売柄外見もかなり重要だったというのもあるけれど、押しつけではなく自分がどういうスタンスで普段過ごしているかを淡々と話してくれて随分と感銘したものだ。
 おしゃれはお金ではなくて、気配りだというような話を聞いて、そういう意味ならばお金に関わらず自分に出来ることをすればよいのかとその時に思った。まぁそんな話を聞いてから、直接的にそれが原因では無いにしてもダイエットをしたり、後は自分の持ち物への手入れという事の重要性を考えるようになった。
 聞きかじった感想は、おしゃれは常にかけ算で評価がきまるようだ。もの自体の価値×手入れ×きこなし、どれかが著しく低いと合計は物凄く下がる。恐ろしい話だ。

 親には昔から、世話になった人にはちゃんとお礼をしなさいと言われ続けてきたけれど、結構ないがしろにしてきた。最近少し心を改めて、普段お世話になっている人やその時お世話になった人には出来るだけお礼をしようと思っている。多分基本は「ありがとう」というお礼の言葉になるのだろう。「有り難い」という言葉の通り突発的な事に対しては比較的言いやすい言葉だと思う。ただ、日常には慣習化しているけれど本当はそのことは本当に貴重なことと言うことが沢山ある。最初のうちは感謝をしていても、人はどんどんそれが当たり前になってしまう。初心を振り返る為にも、本来そのことがどれくらい有り難い事なのかを言葉に出して確認するためにも進んで声に出したいと思っている。

 この年になると、皆周りも家庭をもったり仕事をもったりして以前のように自由に出会える機会も減ってくる。blogを通じて文章を書くことにアレルギーが無くなってきたせいだろうか、手紙を書いてみるのも良いかなあと思うようになった。以前は余り気が進まなかった年賀状なんかも、もう少しきちんと書くようにしていきたいと思う。
 それに付随して、やはり今までさんざんさぼってきた結果なのだけれど素晴らしく字が汚いのが今になって重くのしかかる。グダグダ言っていても仕方がないので、字を書く練習をするしか仕方がないのだけれど。確かにワープロソフトにどっぷり浸かっていれば楽なのだけれど、自分の想いを伝えるならやはり手書きは必須だと思う。先日やりかけて放り出している六度法をもう一度再開していかないと駄目だな。

 とりあえずやることが一杯。