飽きっぽい

 やっぱり飽きっぽいなと思う。数打てば当たるという感じで色々試してみたけれど、ある程度自分の中で旬が過ぎて終了したものが多々。また慢性的に運動不足な気がしてきた。

 ブートキャンプは一度心が折れるとなかなか再開できないなぁ。最初目標にしていた体重をクリアすると自分の中での必要性が薄れてしまったよ。阪神の調子が良いのも大きく関係していて中継を見てしまうのもある。中継時にはバランスボールでうだうだしたり、柔軟をしながら見たりと最低限の運動はこなしてキープする感じになっている。

 まぁ3kg落としたので、80kgラインに乗るというピンチは脱した。あまり一気に減らすと体力までおちて夏ばてになりそうなのも関係している。夏はある程度汗をかくから体重はキープされるしね。秋口の涼しくなるまではこの調子でいこうかと思っている。

 剣道の方も、母親の毎週の用事と稽古の日が重なってクルマを使えなくなったので一気にできなくなった。以前なら電車で行ってよと言うところだけれど、膝の調子も良くないようだしさすがに譲ることにした。

 色々なことがなかなか続かないな。というよりまぁ大体ある程度の目標しか設定していないので、それがクリアされるとそれに対するモチベーションが一気に下がるということなんだけれど。必要以上に大きい目標を掲げようとも思わないんだよね。というかそれだと余りに遠すぎて萎えるから。

 主題とは話はずれるけれど、Psychsからの本が届いた、「ブッダ−大人になる道」という本でした。この系統の本は今まで読んだことが無いけれど、どんな感じなのか楽しみだ。404notfoundでも紹介されていてあまり宗教くさく無い本らしい。

 去年のお盆に盛岡に遊びに行った際に、某Yと一緒に過ごした。その時Yが盆の墓参りに行くから一緒に行くかと言われたので何となく一緒にいって手を合わせてきた。そしたらなんか自分の中で何ともいえない気分になった。自分はどの位墓参りに行っていなかったかなぁとぼんやり考えた。

 結局なにか心に思うところがあって、実家に帰った後一人で思い立ったように墓参りに行ってきた。その時に感じたよく分からない心の静まりが自分の中で印象的だった。

 ああいう場所で手を合わすことは、結局のところ自分の心と静かに向き合うことなのかもしれない。蝉も鳴かない夜中の墓地で10分ぐらい私はたたずんでいた。

 もう一つそこで感じることは、自分は周りに生かされて来たと言うこと。先祖に感謝するということはその原点なのではと思う。色々な状況に不平をもらすことは簡単な事なのだけれど、それを打破するための方策をどれほど取っているのだろうか。

 届かないことをうらやむよりも、自分自身が今何ができるかを考えていく人間でありたいと思う。