自称阪神タイガース評論家

 といっても当然私のことではない、毎日愛読しているこのサイトの話だ。

 試合の感想やら諸々毎日一記事上がっているサイトなのだけれど、純粋に読み物として面白い。タイガースに対する愛情とか野球に対する提言とか見るべき部分も多い。

 何かを見た感動を上手く他人に伝えられることは、本当に凄いことだと思う。テストの答えのように定型化されていない自分の中の感情を他人に伝えることは本当に難しい。

 語彙力があれば伝わるかといえばそうでもない、結局の所お互いに共通の語彙でないといくら難しい言葉を並べてみても相手には伝わらないのだ。

 ということは、相手にわかりやすく伝えると言うことは、相手にとってクリティカルな辞書を使用してものを表現していく事になるのだろう。一番顕著な例が「たとえ話」というものの伝え方だろう。

 最低、伝える側は自分の語彙+伝えたい相手の語彙を置き換えられるだけの能力が必要になる。これは簡単なようで難しい。

 モルト侍が以前すこし書いていたけれど、味の表現などはそれが非常に難しいと思う。大体、本に書いてあるピート臭だとかカラメルを焼いたようなとかいう表現は日本人にはぴんとこない。そういう表現を使っている人達をみると本当にこの人達は自分の舌で味わっているのかと疑問になったりもする。

 前述のサイトはそういった微細な表現が、臨場感あふれて伝わってくる。自分が同じ試合をみていて味わった興奮をもう一度味わったり、見ていない試合をあたかも見たかのように思え、感情移入できることは本当に凄いと思う。

 伝えると言うことは、なにがしかを共有したいということだ。文章もそうだけれど、口頭で人にものを教えると言うことも本質的に同じ事だろう。

 もう一つ最近気になっていることに、「分かりやすさ」と「読みやすさ」の違いがある。似ているようで少し違うようにも思う。「読みやすいが分かりにくい」文章はあっても「読みにくいが分かりやすい」文章は無いように思う。

 さらっとは読めるけれど、「で?」といわれる文章が私は多いのかもしれない。主題をもうちょっとハッキリさせて文章を書き始めた方が良いな。