ごめんあそばせ

 いや、この前母親の友人から電話があったときに、電話を切るときにいわれた言葉。実際に使う人が居て結構衝撃的だった。

 「おさとがしれる」とはよく聞くけれど、私も言葉遣いや生活態度からガッカリされるタイプであることは間違いない。最近は気を付けては居るけれど、やはりこう地は隠せない。

 小さい頃からの生活習慣というのを直すっていうのは可能だけれど、それは上っ面の話で本質的にはそうそう変わるものではないように思う。朱に交われば赤くはなるのだろうけれど、どんなに表層的に変わろうとも「おさとのくうき」に触れるとやはり地がでるもんじゃないかと思う。

 以前に触れた、ご飯の食べ方や服装、しゃべり方など色々なところで。まぁ全体的に控えめにしておけば万事それほどまずいことにならないのだけれど、なかなかそれも難しい。酒でも遊びでもたしなむ程度が一番良いのだろう。

 呼び捨て文化なんかもその一種で、私は呼び捨て文化なので「〜さん」というのはなかなか馴染まない。当然逆の文化圏の人もいるわけで、元嫁なんかはその典型で結婚するまでは呼び捨てで呼んでくれと言っていたのだけれど、どうしても馴染まないからさん付けで呼ぶわといわれて、結婚してからはさん付けで呼ばれていた。

 大学時代の友達も先輩はともかく、同輩でさんづけするのは本当に限られた人だけだった。というかそれはもう「さん」までが固有名詞になっている場合で尊称ではなくなっている。

 だから遊びの時に「さん」が飛び交うのは自分にとってはawayなフィールドになるわけです。大体そういうところに行くと「おとなしくしてないといけないなぁ」と考え、なけなしの気を遣うわけです。ええもう私にしては涙ぐましいぐらい。

 昔からの知り合いは分かると思うが、おれが大皿の料理を他人の分を先に取り分けて行き渡ってから自分の分を取って食べている姿を想像してほしい。ほぼあり得ない光景だろう。まぁ見る人から見たら当たり前の行為なのだろうけれど。もともと私は大皿を一人で食べ尽くすタイプだから。

 まぁそんなこんなで、TPOが昔よりは判別出来るようにはなったわけだけれど、逆にだれるときはとことんだれている気もする。先日のakd邸に行ったときももう少しお利口にしてれば良かったのだけれど、最後の方はリビングの机の脚に絡まりながら床で寝ていた。

 そういう意味で、初対面で気張ってしまうとそれをその後も維持しなければいけないジレンマがある。程良く適当に生きていれば良いのだけれどね。ある意味気張った状態は私にとってスーパーサイヤ人になってるような状態なので、まずそれを当たり前にする所から始めないといけないのかもしれない。

 まぁどうも私の中での人への気遣いと、一般常識はかなりかけ離れてるらしいので(他人談)その辺りの自覚をもって修正はしていかないといけないらしい。めんどくさいこった。

 自分の意図を明示的につたえるためにはある程度儀礼が必要だ。面倒くさいけれど、公式な手順を踏むことで自分の意図を間違いなく伝えることは出来る。そういう意味では我流を通してすれ違いが多くなるのも本末転倒で、手を抜いた分その後の調整でもっと手間を食うことを考えれば多少の手間は仕方がないということなのだろう。