夜の音を聞く

 今でこそ蔵の中で座敷牢にいるみたいな生活をしているけれど、昔は母家の中の2階で暮らしていた。

 昨日の晩は、akd邸で昼寝をしたせいか寝付きが悪かった。遊びに行ったことで疲れるよりも疲れがとれる具合の方が多かったということだろう。いかにゆっくり遊ばせてもらったかが分かる。

 意識が飛ぶ前の布団の中の時間は、普段聞こえない部屋の音が良く聞こえる。冷蔵庫のモーターの音、時計の音、夏であれば蚊の羽音など色々と。今の部屋は壁が厚いので主に部屋の中の音が拡大されて聞こえるわけだけれど、それでも前を車が通り過ぎる音が時折耳に入る。

 夜は元々音が聞こえやすいという。何故だかは忘れたけどそういうものらしい。まだ自分が母屋に居た頃、寝る前には今より色々な音が聞こえた。終電間際の電車の音、高速道路の車の排気音、家の前を流れる川の音、田圃にいる蛙の声など今から思うと大合唱だ。

 寝る前に限らず、そういう少し遠間の音を暗闇の中で聞くのがなかなか楽しい。私の部屋は窓が無く音が漏れないぶん闇の中で、外から漏れる光と音を楽しむことが出来なくなってしまった。たまに外泊をするとそういう機会があってとても楽しい。そこに酒があれば何もいうことはない。

 ふと思ったのだけれど、私が求めている人というのはそういうシチュエーションで静かに一緒に酒を飲んでくれる人なのかもしれない。まぁそんな人は未だかつて居ないわけだけれど。

 私は自分の世界にはまりこむのが好きな人間だ。はまると言うよりも自分の置かれたシチュエーションに酔うタイプだ。冷静にこういうところで自分でそのことを書くと本当にアホかと思ってしまう。

 それはさておき、自分が好きな世界観ってどんなものだろうと色々と考えると、現実世界に置き換えるならばやはり作家の北村薫のような世界を好んでいるようだ。『神戸在住』のレビューを読んで北村薫的世界観という評をいくつか見かけた。「ああそれでか」と自分の嗜好に納得がいったわけだ。

 自分はああいう小洒落ていてかつ、都会的でない雰囲気に憧れているのだろう。今から思うと、分かれた元嫁にはそういう匂いがあった。そういうものにやはり私はなりたかったのだろう。

 ただ私は、そういうものに憧れているだけで、元来そういう性質を持つものではない。もっと泥臭い生き物なのだ。憧れる世界に居る人達は、自分がそれだと言うことに無自覚だからこそ、そうあれるのだ。そうあろうとした時点でそれはまた別のものになってしまう。追い求めてなるものではなく、それはそうであれば最初からそうなのだ。

 そして、今日も私はそういうものに焦がれながら一人で想像をめぐらせる。