習慣

 色々と習慣化について考えてみました。

 囲碁なんかの練習法で詰め碁の習慣化なんかを試みている訳ですが、すくなくとも私の場合それほど効果がでているようには思えない訳です。この事について自分なりに考察してみました。

 まず、よくスポーツ選手や将棋や囲碁棋士が何かを習慣化していますという事を言うわけですが、これは本当に同じ事をやっているのかという事です。

 たとえば「素振りを習慣化しています」という話のなかの本質はどこかという事ですね。素振りという行為自体は同じでも、行われている素振りの意味は毎日違うわけです。その辺りを抜きにしてただ繰り返す事を習慣化させてもそれは形骸的なことに過ぎなくなってしまうわけです。

 習慣になると、普通の人はマンネリになります。行為に意味を持たすのではなく、行為その物が目的になりがちです。そこに習慣化の落とし穴があるように思います。

 習慣化するということは、ある単一の行為にまだ突き詰める余地がある事を示しています。そこには工夫という変化が必要です。習慣化するというのは、結局の所繰り返す行為ではなく、試行錯誤をすることになるのでしょう。

 もっと端的に言えば、習慣化は「工夫する行為の習慣化」でないとただの繰り返しになります。それで良いこともありますが、自己向上のための手段として、何かを習慣化させようとするならその意識がないと全く毎日時間を無駄にすることになるでしょう。

 考えなくても体が動くように習慣化する、という行為はすなわち、いままで使っていた思考というプロセスを別の方向へ向けるということです。それによって、一回の行為に対する厚みを増やしていくことが可能になります。

 これを繰り返すと、習慣そのものを圧縮する事が出来ます。必要量の行為が行えるようになれば、習慣そのものに割く時間を圧縮するか、時間を変えずに密度をあげるかを選択することが可能になります。それによって習慣その物を動的に自分の中でコントロールしていけるわけです。

 まぁそんなことは深く考えなくても、やらないよりはやっているほうがよっぽどマシはマシなわけですけどね。もう一回自分の生活上の習慣を見直す意味で書いてみました。