良くも悪くも

 2ヶ月ぶりの研究会。前回はぴょんちゃんが家に遊びに来たのと、当日は別件があったので参加を遠慮した。

 大会の棋譜を皆につついてもらう。前日の飲みの後家で酔っぱらいながら、ぴょんちゃんが見てくれるというので並べてみる。序盤から疑問手続出、ネタになるから続きは明日にしようと言われる。

 研究会の午前中もう一度並べ直して、その場にいた人につついてもらう。まぁもう出るわ出るわ疑問手のオンパレード。自分で並べ直して思っていたポイントと全然違うところが根本的な問題で、自分の感覚のずれを再確認。今回並べた棋譜は最後にオチまでついてるので延々突っ込まれっぱなしでフィニッシュ。

 なんかあまりにもボコボコだったのでマゾッ気満点に、午後からこられたままこ先生にも見てもらう。ぴょんちゃんとほぼ全く同じポイントで同じつっこみが入る。プロからみたらよっぽど当たり前な問題手ばかりなのだろう。

 「これは研究譜というより酒飲んでつつきたい碁だよねぇ」という話になり。やっぱり自分は酒の肴に向いているんだなぁと笑える。

 まだまだ、自分なりにでも一局の中でストーリーを描けていないと思う。勝つにしろ負けるにしろ終始ストーリーのある碁は話のネタにもなるし自分自身も納得できる。

 打っている対局の半分ぐらいは、中盤から自分自身のストーリーが無くなる。右往左往する明確な意志を感じられない打っただけの手。結果的な善悪は別としてこういう着手を無くしていかないと全体的な一貫性が保てない。しかも打っていてつまらない。

 一時期それを顕著に感じて、自分自身どういう碁を打ちたいのかが見えなくなって対局がつまらなくなった。プロ棋士棋譜を並べるとテーマを私でもある程度感じることが出来る。それを自分なりにトレースすることができるのが楽しい。

 打った直後ではなく、忘れた頃に自分の棋譜を再度並べると、直後とは違い自分の考えを客観的にかつその時とは違う棋力で眺めることが出来る。その時の自分の迷いや、気合いなどが時間を超えて体感できる。成長か退化かは分からないが今の自分と違う自分を見ることはとても笑えてくる。

 1年後に今残っている棋譜を自分で見たらどんな気分になるだろうか。そう思うと今より少しでも強くなって一年前の自分を振り返ってみたいと思う。