虚栄

 最近、褒めて欲しい星人に自分がなったことに気がついた。投げたボールを加えて自信満々に褒めてもらうために戻ってくる犬のような感じ。

 良くも悪くも昔は今の数倍マイペースで生きていた為に、褒められることも無かったしむしろ褒められたいとも思っていなかった。というかそもそも他と違う物差しで、自分の成果を自分で計って居たので他人の評価はどうでも良かったのだ。

 まぁひねくれていたと言えばそれまでだが、他に影響されず自発的なモチベーションを生み出せると言う意味ではあの頃も良かったと思う。

 遠い昔にも囲碁を人に教えた。というか教える機会は今まで何度もあって色々と試行錯誤してきたつもり。

 一番最初に教えたのは彼女にだった。当時の私にとっては教えることは間違いを指摘することだと思っていた。当時は囲碁を楽しむことよりも強くなる事を命題としてい為に他人もそれが普通だと思っていた。

 「指導碁であれもだめこれもだめと言われると悲しくなる。もっと一緒に楽しもうよ」と泣きながら言われたけれど当時の自分には言われている意味は全く分からなかった。結局そのまま二度とその子には教えることは無かった。

 今から思えば、彼女にとっては囲碁は一緒に楽しむための手段で、実力が違うのだから当然教えてもらうかたちになるというだけの話しだったのだけれど。私の中では強くなりたいから教えて欲しいのだという根本的な勘違いがあったのだろう。

 その時にも「もっと嬉しくなるように褒めてよ」といわれた。「他人に褒められたい為に何かをするの?わけわからん」と私は言った。今なら理解はできるがその当時の私にはとても理解できない思考だった。

 小さい頃から変だからいじめられていた。その中で自分を保つには他人に寄らない価値観を持つ必要がある。環境への適性といっても過言ではないだろう。そういったひずみから、今から思うと随分酷いことを言っていた。

 相対的にはまだまだ自分勝手なのだろうけれど、絶対的には丸くなったというか堕落したのかはたまた成長したのか。

 でもなんか最近自分に感じる「これだけやったんだからちょっと褒めてよ」的なアピールはふと我に返ると何とも情けない気がする。というかもはやそれぐらいでしか物事へのモチベーションを上げられないぐらい取り組み方が甘くなったと言うことなんだろう。