トリミング
撮るということを、ある程度日常化しようと試みています。まだ、一日目ですが色々気がつくことがありました。
私の中で、今のところ写真を撮ることは視界を切り取ることに他なりません。これを意識的に行おうとすると、普段見ているものをもう一度見直すきっかけになりました。
切り取るためには、まず対象を意識しなければなりません。私の退化した脳は、生活の一部になっていることに対して刺激を受け付けにくくなっていました。
通勤の際に通る道は、通っていても意識からは「通勤路」であってそれ以上の情報は、切り捨てられていたのです。そこに、何でも良いから撮ろうという意識から、通勤路に色が付きました。
自分が毎日通っていた道なのに、切り取る視界の対象と意識した瞬間から、様々な表情を持ち始めます。
これはとても大きな発見でした。幼少期は、なにもかもがエキサイティングで毎日が出会いでした。以前にも書きましたが、大人になるにつれて情報を抽象化して圧縮してしまいます。そのために折角の様々な出会いを自分で切り捨ててしまっているわけです。
文章を書くのと同じく、写真を撮ることはイメージをふくらませる良いきっかけに思いました。言葉ではなく視点で自分を表現できます。まさしく、その人の「モノのミカタ」そのものなのですから。
人の頭は高性能なものです。視界に入っても見えてないモノは沢山あります。人は見たいモノだけを見れる幸せな回路をもっているわけです。そして多分写真はその脳内加工された風景を発信するための手法なのでしょう。
今日の一枚
なんか適当に朝、自分の影を取ってみた。