覆水盆に返らず

 壊れてしまったモノは修復しても元通りになることはない。修復しようとするのではなく壊さないようにするべきなのに。過去を追い求める。

 壊れたのか変化したのか、表現は色々だろう。変化を主観的に甘受できなくなることがコワレルという事なのかも知れない。

 昔あったものと似たような雰囲気に出会うと、息が詰まるような感覚になるのはなんでだろう。振り切ったはずの感情が何かを媒体にして心を大きく揺り動かす。

 仕草だったり、臭いだったり、場所だったり、季節だったり。記憶の断片が今見ている風景からデジャブを引き起こし、そして心の何かを刺激する。

 そういうときに何か心に残る色々な余韻を感じる。飲み干して空っぽになったウィスキーの瓶の蓋を開けるとかすかにする残り香のようなものだ。心情的には本当になんと表現して良いかわからない。

 もう一度出会って、また何かが始まったとしてもそれは決して再開ではない。新しい何かが始まっただけの話だ。どこで物語の区切りをつけ、そして本を閉じるのかはあくまで自分次第だけれど。

 それでもまた何かのデジャブを感じたときに覆水は盆にかえるのでは無いかという錯覚を私は起こすのだ。