スタイル

 しっかりしないな。生活レベルは底辺層だろう。いわゆるワーキングプアといわれる所得階層になるのかな。自分では働いている割に貧乏とは思っていない。分相応というところだろうか。

 「どうしてそんな所にいるの?あなたならもっと稼げるでしょう」とよく言われることがある。実際に引き合いを頂くこともたまにある話だ。今の会社も結婚前にそのような形で転職した。

 そして今がある。環境がいまの私を作ったのではなく、今の環境に自分がしたのだ。もっと稼げるという言葉の前提にあるのは、待遇の分不相応か、それとも自分のがんばりの不足か。

 待遇の分不相応であると私が感じているなら、また転職することも考えたかもしれない。でも今の状況にある本質的な原因は自分自身にあるのだ。それに目をつぶって環境を変えて一体何になるのだろう。

 仕事をするためにはスタイルとスキルそして実行力が必要だと思う。まず方針により必要な技術がさだまりそれを実行していく。私は自分が実行しない前提のスタイルを描くことが多い。そして、そのスタイルは一見すると魅惑的だ。

 私は基本的にその3個の要件のうち、スタイル形成能力のみが肥大している。そして、まだ計画段階の事において見られる能力はスタイル形成能力だけなのだ。スキルや実行力はその後に見えてくるものである。いわゆる口だけ。そこが大きな誤解を生む点であろう。

 本来この能力は、生産というレベルの実行力とは違った実現に向けた行動力とセットになっていないと役に立たない。スタイルを形成し、実行力のある人間へのスタイルの継承という動作を行って初めて生産行為に結びつく。これはまさしく経営そのものだ。

 この自分の形成したスタイルを実行力に結びつけるための行動自体に前向きで無いことが一番の問題なのだ。誰が実行するかはこの際あまり問題ではない。誰かが何かをしたいというときにスタイルの提案はできる。ただそれだけなのだ。それ以上の事に正直興味はあまりない。

 よく「結局なにがしたいの?」と聞かれる。答えは「妄想したいのだ」ということだ。