放言

 「出来る奴は決めるとこでびしっと決める。始めと終わりがきちんとしていれば間はぐだぐだしてもかまわない」うちの社長と喋っていたらそんな言葉。耳が痛い。

 有事の際の立ち振る舞いで人の本質が良くわかるという。私は過去を振り返ると悲しいほどに有事の対応がお粗末だ。ここ一番でびしっとはなかなかいかない。普段しょぼい人間が有事に活躍するのは漫画。

 とにかく試験と名の付く物の合格には本当に縁がない。中高大受験をはじめとして資格試験もことごとくはずしている。勉学で言えば確実に落ちこぼれの部類に入る。唯一大学受験は神が光臨したけれどあれはまた人外の物ってことで参考にはならない。

 いまだ地力で勝ちあがることを体験したことがない。それが継続へのモチベーションを維持できない一つの原因になっている。にわとりとたまごの話になるのだけれど、この年になってまともな成功経験が無いのは非常に精神的に不自由なことだ。

 何もかもが甘いんだよなぁ。発言も行動も頭も。はじめの一歩で言うところのデターミネーションがない。

 立場が人を作るとは良く言った物で今の自分にはしょっている責任がほとんど無い。負荷が無いと人間なまるばかりである。結婚していた頃はその負荷で吐きそうになるぐらいだった。なんだかんだいっても結局そこから逃げ出したかっただけかも。

 自分の人間関係の作り方は対岸の火事をみているのに似ているかもしれない。果たして交遊しているのだろうか。そんな疑問が少しわいてきたり。

 ペルソナという言葉がある。本来の自分をまもるための仮面、対外的な自分。仮面の中身は本当にあるのかな。仮面自体が自己そのものだと思い始めたり。

 モチベーションがあるように色々ともりあげる。自分に騙される時間がある。気がつく自作自演。もともとは無いモチベーションに気がつき、後に残るのは始めたことによる義務感。モチベーションは無いけれど義務感が残る日々。そうした自作自演の残骸が今の自分ではないかな。その義務感を放棄できないのが私の本質ではないかな。