なんとなく

 何となく読んで納得。私はこの典型だなぁ。

 結局、相手の気持ちを先取りするというのは、相手への思いやりではなくて、自己防御だけなんですよ。
 「うん、また今度行こうよ」という断りですら、確かに傷付きますよ。あー、実質、断られたな、と。
 でもね、そこまで傷付きたくないですか?
 くるさりんど

 これは正月あたりにも考えて思ったことですが、自分の行動を正当化するために相手をダシにしてる事がある。

 人間関係に疲れたときに相手のためをおもってどうたらっていうのは自分が逃げる格好の材料になるんだよね。「僕は好きだけど、君のタメにならないから分かれよう」とかもうその典型ですね、責任転嫁も甚だしい。今変換して気がついたが転嫁って嫁に転がすって書くんだな。なんか生々しい。

 色々な会話において、いらない前置きというのは基本的に逃げ道なんですよね。いかにもその行動が正しいですという脚色。よく見るとそれを解決する方法は本当にそれだけなのかと聞きたくなります。最善ではなく最容易の場合がほとんどなきがする。

 最も楽な方法を最も苦渋な選択のように言っていると気がつくとなんか恥ずかしいですね。

 かといって友人関係についてコミュニケーションにそれほど不自由かといえばそういうわけではない。何が具体的に違うのか、友達と違う何を求めるかということ。

 jangorouをして中学生並と言われる私の感覚は、本来体験するべき体験が少ないため成熟されていない。生活などの切迫した条件を背負わない男女関係が希薄だったため、友達としてではなく恋人としてどうこうという時間を過ごしたことがほとんど無い。やったことが無いことを今更やるのだから当然おっかなびっくりになってしまう訳である。

 「俺なんかが誘って、キモいと思われただろうな」なんて思うのなら、本当にキモいと思われているなら、誘わなくたってキモいと思われるんだから一緒だよ。

  たとえば、すんごいブサイクな女性から「食事に行きませんか?」と言われて、どうよ? どう思うよ? どう言うよ?
 面倒臭い、と思いつつ「今度ね」と言うし、悪い気はしないはずだ。女性だって同じなんだよ。

 この辺のたとえはjangorouなんかにも良く言われるが理屈では納得できるんだが、どうも感情では理解できない。まぁそのへんが恋愛不自由者たるゆえんなんだろう。

 まぁそう考える一つの要素がオサレさんでは無い事。自分の思いこみだけでなく、実際に遊びにいって服装があんまりだから買って着替えろと言われたことがあるので(実際に買って着替えた)その辺はもう少しなんとかしたほうが良いんだけれどね。服よりお酒に金をつかってしまう。まぁせめて体型だけでもデブから脱出しとけばまだましだろうということでダイエットしたわけです。

 大学の頃は外を彼女と一緒に歩くのが嫌でした、かわいい子で自分とバランス悪いなぁと。実際にその子自身が他のカップルをみて「あれは釣り合い悪いよねぇ」とかいうのを聞くと「あぁやっぱそういう目でみるんだなぁ」と再認識するわけです。

 まぁオチとして言えば、失敗できるときにある程度失敗して経験を積んでおかないと後になればなるほど問題が深刻になると今更ながらに思ったとそういうわけです。