そして老いていく

 私ははたしてコミニュケーション不全か?というのを最近よく考える。まわりの思考や振る舞いがどんどん大人びていく中、行動原理はハタチに形成されたままほぼ変わっていないように思う。結局人を変えるのは年齢ではなく相応な経験なんだろう。

 大学院を中退して自分で起業するときめたときから、一般的にまっとうと言われる道は確実に踏み外している。最近はやりのニート問題をちゃかしたコラージュ漫画を見ていて思ったが「ああ自覚なかったけど俺って実はニートじゃん」と再確認したわけです。

 実のところ群れるのが好きなのか嫌いなのかいまいち良くわからない。自分との他人の関わりは割り切ることによって程良く融和しているのかもしれない。他人との関わり方の切り口がかなり特殊なのかもしれない。(自分自身では自覚はないがどうも人との関わり方は普通ではないらしい)

 今まで私とつきあってくれる奇特な女性は何人かいたがそろって言われるせりふは「あなたは私が必要なの?友達と恋人は違うのよ?」という旨の台詞。どうも友達の延長上ではなく恋人は別の物体であるらしい。

 逆転的に言おう、私にとって友情というのは何らかの障壁が原因で恋愛感情に出来ない物である。例えば同姓であったり人のモノであったり。そうでないモノを友情と呼ぶ気は私はしない。まぁ実際は友情、恋愛感情なんてそれぞれひとくくりになるものではなく。あえて言うなら誰かと私の関係に本質的に名前なんて付けることは出来ないのである。

 今年の夏は久々に能動的な旅行をしたがその発端は「ひさしぶりだな、盆暇か?旦那はしごとで忙しくて休みの間暇だから家に遊びに来い」という先輩の一言だった。そのときは「あぁ、いっすね暇だし行きます」と安請け合いして行ったわけだが、その場で先輩と離婚した嫁のことをはなしていて「こういう人との関わり方は俺とおまえのなかでは成立するが一般論としてはまずい」という話を聞いて本当にその時までなんかまずいということすら認識していなかった。冷静に考えれば間男だよなぁ(笑)この感覚がある限り普通に再婚は無理だなと思ったわけです。(ちなみに先輩の旦那も先輩ですし間男じゃぁありませんよ)

 まぁよく離婚したというと「もう結婚ってこりごり?」とか「女性嫌いになるなよ」とか言われるんですが、たぶんそれは元嫁に言うべき台詞であって元々性的欲求は別として女はそんなに好きじゃないし、結婚に関してはそれこそ元嫁との生活が破綻しただけで別に結婚がどうこうという問題でもない。ただ一つ言えることはこのような状態を知ってなおかつまだ私と結婚したいとおもう女性は居ないとは言わないが皆無だろうと言うことだ。幸いなことに仕事に特化した生活無能者ではなくどちらかといえば一人でなんでもやる方である。その点だけは助かっている。

 問題になるのは周りがどんどん結婚していくと遊んでくれる友達が居なくなることである。特に子供ができると親になる。これは本当に人としての成長のステップなんだと周りを見ていると感じる。子供が出来るまではいくつになっても子供のままと某人がいっていたがまさにその通りだなぁとしみじみ感じる。私が親になるときが果たしてくるのだろうか?