環境をつくる政治力


 http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061208/1165539947

を読んでの感想。

 ここに書かれているようないわゆる自己環境を構築する能力というは非常に重要だと思う。良く聞く愚痴で上司が無能とか使えないというのがあるが、私的には「無能な上司がつくような場所にいる自分自身の今までの歩みに問題が無いのか?」という事が言いたい。まぁ無能な上司のせいで仕事が出来ないなら少なくとも本人もそれほど有能では無いと思う。

 正直なところ環境的にパーフェクトというのはあり得ない。現状ある環境で結局何とかしなければいけないわけである。ということは選択肢としてはあきらめるか、作り替えるか、運用を変えるかしか無いと言うことだ。相手を無能と思うなら無能なりの使い方をしないといけない。立場や地位とは関係なく上も下も使うのである。それが出来て初めて相手を無能と呼べるのでは無いだろうか?

 逆説的に言うと使えない駒というはほとんど存在しない。桂馬が一歩前に進めないと不平を言うのはルールを理解していない馬鹿である。本当の意味で無能というのは考えられない。短期的な不都合は多々あるだろうが根本的に自分の影響力を正しく発揮できる場をつくっていける人間が真の有能では無いだろうか?

 ある作業の効率のみに着目してその部分での優劣を競うことは大局的にはあまり意味のない事だと思う。適材適所という言葉があるがこれも少し違う。これはジグソーパズルのようなものである意味理論上の予定調和にしかすぎない。一歩進んで適所を構築して全体としての利得を増やすことが今一番求められていることでは無いか?

 高度経済成長の頃のように目標に向かって邁進する時代、言い換えれば目標を達成するために必要な人材を育成しなければいけなかった時代から目標がはっきりしない多様性のあるに変わった今、人材をフレキシブに活用して人材から目標を作り出す時代へ変わってきたのでは無いかと思う。

 とかいう妄想・・・